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母の介護を父と一緒にしていた。

僕は、介護の仕事をしていながら、なぜか母の介護に積極的に取り組めていなかった。

ある日、母は、リハビリと家族の介護負担を減らす目的で病院に1週間入院することになった。

僕は介護タクシーの中の母に「またね」と声をかけた。意外にも母は無言だった。
しかし、その時、愚かな僕は聞こえなかったのかなと特に気に止めることはなかった。

その次の早朝、家の真横を通る救急車の締め付けるようなサイレンの音で目を覚ました。
次に、父の携帯がガランとした部屋中に鳴り響いた。

僕の心臓は高なった。

実は、その時、母は静かに旅立っていたのだった。

4年ほど前から難病を患い、不自由になりながら暮らしてきた母。
母との最後の日々を無表情にこなしてきたことを激しく後悔した。

あれから、1年経った。

幸いにも、
母が言った「お前が幸せなら、なんでもいいよ」といった言葉と遺影の中で静かに笑っている母が僕の命の源となっている。









6/17/2023, 9:40:29 AM