月風穂

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【同情】

同情したところでではないか。
私の同情は一銭にもならないがいるか?
同情に価値はないし、甚だ傲慢にさえ感じるものだ。

同情をして自己満足に浸る人は多い。
何も解決はしないし、鬱陶しい助言なんかしてくるやつもいる。
“同じ情”になるの意味だが、違う人間なのに同じ情になるのは困難である。

『ちびまる子ちゃん』の永沢くんをイメージしてほしい。
永沢くんの家が火事になった。玉ねぎ頭の少年に同情できるだろうか?
私はできない。
彼に同情したところで燃えた家は戻ってこない。
私は正解はわからないが、少なくとも同情はしない。
まる子たちは自分たちができることは何かを考え、寄り添ったのである。
この光景は大人になった私たちにとって、見習うべき姿勢である。
ただ同情するだけならば誰にでも出来る。
大切なのはその先のどうするか?ではないだろうか。

無論どうでもいいことなら同情する。
私は私に対して同情することもある。
他人事のように考えた方が存外気持ちは楽になるのだ。
「まあこんな日もあるよね~」などと能天気なもう一人の私は私に同情し、励ます。
永沢くんに比べたら私は随分マシだなとたまに思うこともある。
玉ねぎ頭な上に家が火事とはつらいにも程があるであろう。

2/20/2024, 12:39:03 PM