何もいらない
森の中にある泉にボロボロになった斧を投げ入れた。
泉の底へ沈んでいく斧をただ黙って見ていると、泉から眩く光り、若い女性のクスクスと笑う声が聞こえた。
「あなたが落としたのは金の斧ですか?それとも、銀の斧ですか?」
両手に金と銀の斧を持った美しい女神が俺に微笑む。
「いいえ。俺が落としたのは鉄の斧です」
「まあ!なんて正直な若者なのでしょう!立て続けに正直な人間に会えて素晴らしいわ!正直者のあなたには全部差し上げますわ!」
俺の回答に女神は手放しで喜び、水面を滑るように此方へ駆け寄って来た。
「……本当に全部ですか?」
俺は差し出された金の斧と銀の斧と女神を見て言った。
「勿論ですわ!」
笑顔の女神に釣られて俺も口元に笑みを浮かべながら斧を受け取ると、それをまた泉へと投げ捨てた。
女神の顔が笑顔から呆然とした表情に変わり、視線は俺から泉に沈んだ斧へ向かった。
「ありがとうございます、女神様。あ、でも俺が欲しいのは女神様だけだったんで斧は泉にお返ししますね」
俺は女神を手を優しく取って言った。
再び此方を向き、ゆっくりと後退りしながら距離を取ろうとした女神の手を引いて抱き寄せる。女神を逃さないように腕に力を入れて耳元で囁くように言った。
「偶然木こり仲間に斧を渡すあなたを見かけて一目惚れしたんです。何度か泉に足を運んでもあなたには会えず、木こり仲間に詳しく話を聞こうにも知らないと嘘をつくばかりだったんで、少し強引に聞く事になって泉に投げる為に用意した鉄の斧がボロボロになってしまい、これで本当に呼べるのか不安でしたが、あなたがちゃんと拾ってくださる優しい方でよかった」
すっかり大人しくなった女神を横抱きで抱えて泉に背を向け歩き出した。
女神の瞳には幸せそうに笑う男の顔が反射していた。
4/20/2026, 7:00:22 PM