澄んだ瞳と言われて真っ先に連想したのは私に噛みつきおったハーディ(仮名)である。とっくの昔に川向こうへ渡ったはずだが彼奴の付けたちっちゃな傷は鎖骨下にまだかろうじて残っている。
競走馬上がりの彼は去勢後も負けん気の塊で、馬術部のガキどもの大半を見下していた。腕の立つ先輩方には渋々ながらも従うが、周囲をちょろちょろし寝藁を替えボロを拾い裏を掘ってブラシをかけたっぷりの水と飼いを朝昼晩夜と差し上げる我々一年坊主は大半が一年目で脱落するお世話係でしかないのだから当然だろう。
普通の馬と違ってハーディは片目が三白眼とまではいかないが普段から白目の部分が見えた。癇性の馬によく見られる特徴だそうだ。学生の手に負える程度とはいえうちの厩舎では一番気が荒いから気をつけろと言われていた。
そんな畜生でもというか畜生らしいというか、おいしいものがあればちょっぴり譲歩してくれる。春はクローバーやたんぽぽで大きく作った花輪、夏は大鎌を振るって刈り集めた青草、秋は牧草地のふちの刈り残しを落穂拾いよろしく集めてきては貢いだ。まあそんなもので懐柔されるような玉ではないし舐められまくって最終的にがぶりとやられたわけだが、馬房の中で早くおやつを寄越せと前掻きしていたハーディがむわりと薫る青草の山を食んでいるときは白目も見えなくなって、ただの美しい生き物になった。
馬の幸せが何かは知らぬ、だがあの瞬間だけは何の憂いも無かったことを願っている。
7/31/2024, 12:03:55 AM