郡司

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澄んだ瞳

「あーらぁ、きれいな眼をしてるって思ってたけど、眼(視力)が悪いのね、なぁーんだフフッ」…と、言われたことがある。やたらに嬉しそうに言っていた。何が嬉しいのかさっぱりわからんが。

一方で、「死んだ魚みたいな眼してるよね」とニヤニヤする人にも会ったことがある。疲労してグダグダな状態だったときだ。言った人はヒマだったんだろう。

「開いた瞳孔で大丈夫だって言っても説得力ない」と呆れられたこともある。脳貧血状態を耐えて意識を保つために全身に力を入れていたときだ。心配かけたのはすまなかった、うん。

“目は口ほどにものを言う”という言葉がある。
疲れたときに眼がイキイキしないのは当たり前だし、こころ喜ぶときは眼がキラキラするのが当たり前だ。バイタル変動のように、眼にはこころの表情がくるくると顕れる。…まあ全身からも響きが出るんだけどね。でも目ほど明らかとは限らない。

人が澄んだ瞳をするとき。どんなときだろう…
たぶん、「ありのまま見ている」ときなのでは。あらためて何かを発するでもなく、ただ自分でいて、ありのままを見ているとき。あるいは、静かにオープンでいるとき。色づけフィルタが無いから澄んでいるときだ。そういえば、赤子の目は澄んでいる。

人間が生きてゆくとき、しばしばフィルタは必要なものだと思う。状況・状態に応じてサングラスが必要なときがあるように。誰しもみんな、澄んだ瞳がデフォルトで、それぞれがいろいろな必要をもってフィルタをかける。

いろいろフィルタの瞳も、澄んだ瞳も、重要なしらせのインデックスかもしれない。

7/31/2024, 7:06:55 AM