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【現実逃避】


生まれてから、ずっと帽子がとなりにあったのよ。
みんなにはないけど、私にはあった。うれしかった。
だからだいじにした。ちゃんと毎日かぶって出かけたし、お手入れもしたし、汚れないように気をつけて、帽子を主役におめかしするのも楽しかったわ。
帽子は、夏の強い日差しからも、冷たい雨からも、私を守ってくれた。笑い声ならたくさんあつめてくれたし、誰も私をからかわなかったわ。強い風でずれたりしても、きちんとかぶりなおしてととのえたら、私は足取りも軽くどこまででも行けた。帽子がなければ私と気づかない道ゆくひとも、帽子があればあいさつを返してくれる。
大学生になるとき、帽子を実家において一人暮らしを始めた。
おしゃれなカフェに入るのも、前はじつは帽子があると視線が気になってた。でも帽子を大好きだったから、カフェに入るのをやめるときもあった。苦じゃなかったのよ。
それで初めての帽子のない生活はというと、何も不自由なかった。案外身軽だったわ。帽子をぬいだ私に男の子たちはあれこれ話しかけてきたし、女の子たちは相変わらずつまらなさそうだったけど、それは帽子をかぶっていても同じだったのだから。何も変わらなかった。変化といえば大好きな帽子のお世話がなくなったことくらいかしら。
そのうち恋をして、結婚してからは新しい帽子を手に入れたわ。

時々実家に帰ったときは、それでも昔の帽子をかぶって出かける。もうずいぶん長い間、代わりにたくさんの帽子を手に入れてきたけど、やっぱりこの帽子は特別。
自分で手に入れた帽子たちは、お天気やおしゃれや行き先が変わるたびに取り替えるから、なかなか馴染まなくて苦戦してるの。いつも合う洋服があるとも限らないし、時々間違えたりしちゃってね。あいさつも返してもらえなかったり、にっこりしてもらえなかったりして、落ち込んだりするわね。
その点、この帽子はやっぱり別格ね。

2/28/2026, 1:06:01 AM