お題『たくさんの思い出』
暖かな日差しの入る廊下を、和室からぼんやり眺めていた。
廊下の床に照り返した陽の光が目に入って、じゅわっと沁みた。ぎゅっと目を瞑ってから、目を開く。
窓越しに、竹がさぁっと音を立て、手を振る。私は家の中でも、この場所が一番好きだった。
私の身長の二倍くらいある背の高い窓に手を添えて、外の世界を覗く。
まず意識するのは、陽の光を全身で浴びて、喜ばしそうな庭の花達。亡くなった曾祖母が愛した種類の花々が、今年も前を向いて来客を出迎えている。自慢の看板娘で、今は祖母が彼女らを可愛がっている。お陰で、春にはモンシロチョウ。夏にはクロアゲハ。秋にはオオスカシバ。たまに、ミツバチ。冬には雪虫と、彼女らの可愛らしい友達がよくお茶会をしに来る。
次に、人が歩くと、ザリ、ザリと音を立てる、騒がしい庭の小石たち。神社みたいだ、と昔から思っていた。あの庭で転ぶと、膝はとんでもない事になる。裸足で出た暁には、足の裏がぼこぼこと凹凸ができて、酷く赤くなる。次の日、ビリビリと痛む。細かく書くと心が痛むから、これ以上は思い描かない事にする。
兎に角、私の靴にも、足の裏にも、親しい地である、ということだけ。
それから、洗濯物を干す為の物干し竿達。お行儀が良く、綺麗にピンとならんでいる。彼は雨風に晒されて働きすぎたのか、少し塗装が剥げて赤くなっている。
しかし、ここで外の空気を吸った布は、あたたかな優しさを纏っている。
最後に、松のある木と、大きな岩。よくその岩の上に昇って、松の木に指をわざと刺して、「いたーい!」と、手軽に痛みを享受した。痛いと、愛されていて、生きている気がしたからだ。
そして、なんのために彼がそこにいるのかは聞いた事がないが、どっしりと彼はそこにある。表面を這っていく、凡そ、虫が苦手な人にとっては絶叫したくなるような生き物たちを眺めるのが好きだ。今も好きだ。
さすがに蜘蛛は苦手だった。今も苦手だ。ちょっと生理的に受け付けない色合いをしている。
暖かい日差しがあって、そこから見える景色があって、窓があるから、その場所は好きだ。ひとつでも欠ければ、私はきっと思い出の中でこれらを思い出すだろう。
何度も何度も、ページを読み返すように。その度、記憶という記録は、掠れて、擦り切れて、消えそうになったら、私が勝手に書き足したイメージで、綺麗な思い出として、残っていくことだろう。
11/18/2024, 1:45:47 PM