日記の始まりは、航海日誌だと聞いたことがある。航海日誌を始めた国がどこなのかは知らないが、帆船時代であったのは確かだろう、多分。
一日一日、天候・進路・船の中の出来事・寄港地・記録すべき接触船や人物などなど。軍艦であるならば別に戦闘記録と報告・補給物資記録もあるだろうし。
資料として記録された古い日誌の多くは通常、「閉ざされて」いる。しかも日誌に書かれた内容がすべて真実かと言うと、あやしい部分も多かろう。何か起これば審問の重要資料のひとつであったし、貿易船でも「責任の所在と補償義務」を問う証拠として扱われていたようだ。
そこに日々のメンタリティを書き込む者も少なくなかったらしい。「海と風こそが絶対の神」と言っても過言ではない場所だった以上、吐露することは大きな意味がある。
私は日記を書かない。しかし予定を書き込むものは使っている。トシのせいか忙しさのせいか、「3歩あるいたら忘れる」ハムスター頭になっているからだ。それに、ここでお題に沿って書く内容は、現在「日記」と呼ばれる書き物にも多く取り込まれているらしい「思うことをとにかく書いてみる」ものと殆ど変わらない気がする。そんなだから、「閉ざされた日記」などというものも端から無い。
昔、父が若い時代に書いたらしい日記を偶然見つけたことがある。若いからこそ、迷うからこそ、そして気軽に吐き出せる場がなかったからこその内容だったと、今思い出すとわかる内容だった。私は子供だったが、その日記はそっと戻しておいた。随分後になって母が「こんなの見つけちゃった~」と父のところへ持ち出したら、父はそれを火の中へ投じてしまった。「閉ざしたかった」のだろう。
1/18/2024, 12:30:42 PM