涙が1粒2粒と雨樋から溢れ出る雨水のようにこぼれ落ちた。その時、僕はその湿った頬の感触に酷く驚いた。なぜなら、僕はここ20年ほど泣いたことがなかったからだ。最後に泣いたのは、小学2年生の発表会で衣装に躓いて転んでしまったときだと記憶している。そこから、ピタリと今の今まで僕の涙腺は働かなくなってしまったのだ。だから、今自分が涙を流しているという現実を上手く受け止められなかった。まるで、誰かが僕のまぶたの内側に入って、古びた蛇口を無理やり捻っているような感覚だった。
「泣いているの?」と彼女は聞いてきた。
「どうやら、そうみたいだ」と僕は言った。
「悲しいことがあったのね、可哀想」
僕は見知らぬ涙の戸惑いからひどく顔をこわばらせていたみたいだ。しかし、特段悲しいことがあった訳ではなかった。
「悲しいことなんていさ。ただ、冬眠をあけたリスのように頃合だと思って出てきたんだろう」と僕は言った。
「いいや、あなたにはきっと悲しいことがあったはずだわ。そんな気がするの。私そう言うのって結構当たるのよ」彼女は僕の目を見つめてそう言った。
「けど、仮に悲しいことがあったとして、その悲しいことが涙を流させたかどうかというのは僕には判断できないな。少なくとも、僕が涙を流すべきであった出来事はどれも涙無しで過ぎ去っていってしまったし」少し早口に僕は言った。数秒の沈黙が自分の居場所を見つけたかのようにとどまっていた。
「なら涙の代わりは何かあったの?涙っていうのはわりに重要な役割を持っていると思うの」と彼女は切り出した。
「綺麗な赤色の血さ。君の考える涙の役割っていうのは分からないが、僕はこの綺麗な血一つで不自由なく人生の舵を取ってきたんだ。特に僕の血は昔から綺麗だったんだ」
「綺麗な血と流れない涙」彼女が呟いた。
「そういうことになるな。綺麗なものが体を巡っているというのは心強いものだよ。僕自身の穢れを常に見張っていて、見つけたらすぐに浄化してくれるんだ」
「そういうものかしら。けれど、確かにあなたの涙はとても綺麗だわ。何一つ穢れのない透明な涙だもの」彼女は目の奥に隠されたヒントを解き明かすように僕を見つめてそう言った。
1/16/2025, 5:12:21 PM