作家志望の高校生

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声が出せなくて不便だと感じたことはあっても、不幸だと感じたことはなかった。もし声が出せたら、なんて軽く思うことはあっても、心の奥底から声を出したいなんて思ったことはなかった。周囲の人々は皆優しくて、何も言えなくても俺の感情の機微を読み取ろうとしてくれたし、筆談でも手話でも、いくらでも意思疎通の方法はあったから。たまに心無い言葉を投げかけられることもあったが、それでも俺は人並みに生きていると胸を張って言える自信があった。
きっかけは何だったかも覚えていない。ずっと昔、まだ保育園に上がりたての頃だったような気がする。周りから逸脱した行動を取れば弾かれてしまう幼児の社会は、良くも悪くも純粋で無邪気だった。周りから外れないように、誰も、何も傷付けないように。そう意識して話すようになってからだった。声が、出せなくなったのは。医者からは心因性のものであり、治療薬も治療法も無いといわれた。俺は酷く戸惑って、混乱して、これから一生話せないのではないか、なんて不安と恐怖で満たされた。けれど、それと同時に、自分の言葉で周囲を傷付けることがない安堵感やら、皆に心配され感心を向けられる優越感やらが湧き上がって、俺はそこまで落ち込まなかった覚えがある。
自ら声を捨てた俺は、もう二度と話さなくていいか、なんて考えていた。なのに、そのはずだったのに。
アイツに出会ってから、俺はおかしくなってしまった。話がしたいなら筆談で十分なはずだし、そもそもアイツも俺も、互いを友達としてしか思っていないはずなのに。筆談のために文字を書く数秒さえ惜しくなって、何度も意味もなく口を開いてしまった。どうせ話せないんだから意味もないのに、アイツの声が聞きたくて、何度も通話ボタンに指を伸ばしかけた。俺は初めて、声が出せないことを憎く思った。声を出そうとしても、喉から漏れるのは僅かに空気が抜けるような音だけだった。好きの2文字さえ紡げないこの声帯は、どうしたら声を取り戻せるのだろう。俺は初めて、本気で自分の心と向き合った。
それも全て、この喉に、心に押し留められて吐き出せなくなった恋情を、洗いざらい取り出すために。腐りきって醜く執着する前に、綺麗に洗い流してしまえるように、この秘めた想いを、どうにか言葉にしたかった。文字なんかじゃ足りない。無機質な紙に書かれた記号なんかじゃ、この執着にも近い慕情は表しきれない。俺は最近、声を出すためのリハビリに通い始めた。もちろん、アイツには内緒だ。この想いも、一度捨てたような声も、アイツにだけは知られたくなかった。

テーマ:secret love

9/3/2025, 6:08:35 PM