→短編・大事な思い出
山の山頂にある夜景の見える公園で、一組の若いカップルがベンチに腰を下ろし、会話を交わしている。
二人の距離は近く、親密な雰囲気が伝わってくるが、当時に微妙な緊張感も漂っていた。
「えっと……」
男性が口を開いた。もう何度も同じ言葉を呟いては口を閉ざしている。
眼下の町で夕食を食べ、この公園に来てから小一時間ほどが経過していた。
女性は彼の言葉を待ったり、たまに自分から話をふったりしていたが、いずれにせよ二人の会話のやり取りが長く続くことはなかった。
夏の終わり、涼しい風が彼女の薄いスカートの生地を揺らした。
意を決したように男性が膝の上の拳を強く握った。それまで下げていた顔を彼女に向ける。
言葉を待つ彼女の鼻腔がかすかに膨らみ、少し肩が上がった。
「あの……」
男性は、彼女の待ちわびるような素振りに一旦は言葉を詰まらせたが、何度か首を横に降って気合を入れなおした。
「僕と結婚してください!」
周囲に響き渡るようなプロポーズの声に、彼女の瞳が見開かれる。少し頬が緩み、口元がワナワナと震えながら開く。そして彼女の……――
「は……ッブェックション!!」
ション……
ション……
ション……
山に響くクシャミは、彼のプロポーズの声量を遥かに凌駕していた。
「えぅ……、ご、ごめん。我慢しようとしたんだよ! でも、ちょっと冷えちゃって」
「いや、僕こそごめん。僕がマゴマゴしてたから」
最悪のタイミングに返事を聞くこともできず、男性は「体調、大丈夫かな? 帰ろうか」と立ち上がった。不甲斐ない自分に自己嫌悪を抱くあまり、彼女を置き去りに歩きだす。
「ねぇ!」
背後から呼びかけられ、彼は振り向いた。そこには、力いっぱいのクシャミに鼻を赤くした彼女の明るい笑顔があった。
「私たちが家族になる一番最初の思い出、コントみたいだねぇ」
「それって……!」
「力を込めて『イエス』!」
テーマ; 力を込めて
10/8/2024, 2:44:06 AM