猫宮さと

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《理想郷》

※恋愛感情における偏見はありません。個人ごとにどう受け止めているかの問題と思っていただければ幸いです。


「ちょっと、そこのあなた。」

あ、またこの声だ。
最近軍の本部で、私が一人で彼の執務室から出てしばらく廊下を歩いていると、背後から不意に呼び止められる。
振り向けば、そこには予想通りの女性の姿。
私より年上…彼よりも10歳くらい年上かな? 背も私より少し高く、出るとこ出て引っ込む所は引っ込んでる、ツリ目気味の美人な人。

その人は、私が呼び掛けに対して振り向いたのだと認識した瞬間にビッと私の顔を指差し、鋭い視線と堂々とした態度で私に告げる。


「あなた、あの方に纏わりつくのいい加減にやめてくださらないかしら?」


ここ最近、私が一人になるとこの女の人にちょくちょく言われ続けてる言葉。
彼と別れてほしい、そういう意味なのかな。いつも一言一句同じだから、それ以上は汲み取れないけれど。
この人の言葉からは彼への信奉は感じられるけど、恋愛感情は今ひとつ感じられない。
でも、私が彼に纏わりついてると言われても。

そもそも私と彼の同居の理由は、私が闇に魅入られた者として彼に監視されているから。
この帝都ならば一定以上の権限を持つ彼が、何かあった時に私を処断可能にするために実行したことだから。

そう。同居は彼が言い出しっぺだし、お付き合いすらしてないんですよ。私と彼は。

ええ、それはドライな関係だと思いますよ。
彼に片思いしている身としてはそれを都度思い起こさせられて、色んな意味でメンタルが削れるんですよ。

まあ、最近はかなり彼に優しくしてもらえてるな、とは思うけれど。
彼の視察にも関係のない所に連れて行ってもらったり、一緒にお茶を飲みに行ったり。

…最初の頃に比べたら、彼の笑顔が凄く柔らかくなったと思ったり。

でも、それは彼が義に厚くて礼儀正しいからであって。
たぶん、いや絶対に私が相手じゃなくてもそういう態度で接する。
だから、絶対に勘違いはしない。

ここ最近は連日でこの発言を浴びせられるから、ある程度は慣れた。
けれど今一度自分の立場を認識させられて微かにへこんでいる隙に、その女の人は再度私を睨み直してくる。

「いいですわね? さっさとあの方から離れてくださいましね。」

そうして、足早に女の人は去って行く。
私の返事は何一つ必要ない。全身から、行動からその態度を露わにして。


「ふぅ…。」


私は、ため息を吐いた。

以前にも、似たような事はあった。
だけどその時は別の女の人達が3人位で現れて、内容も『身分が卑しいに違いない私は、彼に相応しくない』と、理由もはっきり言ってくれた。
だから、私自身も対応がしやすかった。
影でこそこそ集団で一人を追い詰める、身分差別発言をする。それは彼が一番に嫌うことだと、その人達を突っぱねられた。

でも、今回は違う。
単身で正々堂々、真正面から私に話をしてきている。
内容は唐突で理不尽だけど、理由が分からないしすぐに立ち去るから返答のしようもない。
しかも相手は、私より上な彼よりもかなり年上。
身分を考えれば見合い結婚の対象になり得る年齢差だけど、どうもその目的でもないみたい。
なんだろう?

なんか厄介なことになったなぁ。
シンプルに、感想はそれだった。


そんな事を考えつつ私は軽い用事を終えて、彼の執務室へ戻る。
この状況も監視の一環なので、今ではもう毎日のルーティンになってる。

「今戻りました。」

そう声を掛けて入室すると、彼が机で書類の束を纏めている。今日の業務が一段落したみたい。

「おかえりなさい。ちょうど切りのいいタイミングなので、今日はこれで終わりにしてコーヒーでも飲みに行きましょう。」

トントンとリズミカルな紙束の音をさせながら、ふんわりとした笑顔で彼が私に言った。
こうして効率よく仕事が片付くと、どこかで気分転換をすることが増えた。
私と同居をしていなかった一人の頃は、真っ直ぐ帰宅して勉強や自主訓練をしてたらしいけど。

「最近、元気がないように見えましたので。」

彼が書類から私に視線を向け、こう言ってくれた。
態度には出ないようにしてたつもりだったんだけど、見抜かれちゃったか。
でも、私に気を使ってくれてる彼が本当に優しくて、嬉しい。

さっきの出来事で萎れた心が、彼のおかげで元気になった。

「ありがとうございます、喜んで。」

その嬉しさから、私も思わず顔が綻ぶ。

そうして彼と一緒に本部の外に出て、並んで道を歩く。
今日はいつもと違う店に行ってみようかと、いつもとは違う道を辿って行った。

大通りからは少し外れた奥まった所に、ひっそりと目立たないけれど美味しいコーヒーを淹れてくれるお店があった。
帝都どころかこの世界に来て間もない私がこのお店を知るはずもなく、彼も最近初めてこのお店の存在を知ったそう。
お店の外まで漂うコーヒーの香り。雰囲気も凄く素敵。

店に入ると、穏やかそうなマスターが丁寧な仕草と挨拶で私達を迎えてくれた。
マスターの案内で、彼と私は奥の席へと誘導される。
お店の中は空いていて、ほとんど誰もいない。今はピークタイムじゃないし、これから混んでくるのかな。
奥へ進むと、そこから私の視界に入る席に座る人がいる。目立たないように入口にひっそり背中を向け、その人はコーヒーを目の前に夢中で本を読んでいた。


え…あの人…さっきの女の人だ。


「…あ…」

私はつい、その視界に入った情報に反応してしまった。
ふと脳裏に蘇る、本部でのやり取り。
不意を突かれたので、感情が自分の表に出るのを止めることもできなかった。

「どうかしましたか?」

そんな私に気が付いて、彼が同じ方向に視線を送る。
さすが、元実戦で動いてた軍人。彼の視線は素早く正確に、私の視線を追っていた。
そして、何かに気が付いたように彼の動きがそこで止まった。

まずい。これはあくまで、私の問題なのに。

そうは思ったけれど、既に時は遅し。
あの女の人に、彼も気が付いてしまった。

自分の未熟故の反応に後悔を抱きながらも女の人から視線を逸らせずにいると、コーヒー店のテーブルとしては相応しくない情報が目に入った。

20cmくらいかな。そのくらいの高さに積み上がった本が、女の人のテーブルに置いてあった。
本1冊の厚みとしては、5mmもない。ページ数の少ない本。
見える背表紙は、全部同じ紙で同じ配色。
…もしかして、全部同じ本?

その異質さに私は眉を顰めて、とりあえず彼の方を見る。

どうも彼もその妙な状況に気が付いたみたいで、女の人からテーブルの上の本に視線が移動してた。

何かこう、引っかかる。
私が記憶の奥底からその引っかかりの情報を抜き出そうとしていると、それの隙を縫うように女の人の独り言が耳に入った。


「ふふ…ふふふ…『あの方』にはこんなお相手が相応しいのですよ…」


彼の名前だ。
何かの本を読みながら、女の人は嬉しそうに恍惚とした声色で彼の名を呟いている。自らの想いを露わにして。
私だって、自分が彼に相応しいとは思ってない。でも…何も知らない人に私のこの想いを否定はされたくない。

私は、悲しくなってついと視線を反らした。
その瞬間、私の肩にポンと暖かい感触が。
そこに視線を向ければ、ずっと隣に立ってた彼の手が。
どうしてこんなことを。でも、その手の温もりが凄く嬉しい。

切なさと嬉しさでないまぜになった気持ちをその手に向けていると、続いて独り言がまた聞こえてきた。


「ここにこそ、あの方の理想郷はある…『あの方』はこんな人に愛されるのが幸せなのですよ…年下、ましてや女など笑止千万…」


んんん?
最後ちょっと聞き捨てならないような、聞き捨てたほうがいいようなフレーズが耳に入りましたが?

あまりのとんでもない情報にバッと隣を見ると、彼が呆然としてる。
それはそうよね。私も意味が分からな…くはないけど。分かりたくなかった。私も呆然としたい。

すると、少しの後に意識を取り戻した彼が素早く動いて女の人に呼び掛けた。

「ちょっと失礼します!!」

彼はそう叫ぶように呼び掛けて、女の人の本を取り上げた。

「…! あなたは…!」

女の人は目元を赤らめつつ、叫びかけた声を自分の手で口の中に閉じ込めた。
先程呟いていた張本人が、目の前に突然現れた。そしてここは、他人の施設内。騒ぎを起こすのはまずいと踏んだみたい。
口調からそれなりに上の方の位の女性なんだろう、その悲鳴を防いだ判断は位に見合った正確なものだった。

一応ですが、彼はそれなりの地位にいるので不審な行動の取締もできる立場ではあるのです。
あるけれど…ちょっとその権限の利用が正当かどうかの線引の意見は、今の私からは控えさせていただきます。
ただ、彼自身に直接関わる事態ではあるので…。

それはともかく。
彼は取り上げた本にサッと目を通した。私も並んで、横から覗き見た。
どうも今回の騒動の一端のようだもの。私は確認する権利、ありますよね?

そして目にした本の中身は、かなり細身に描き上げられた彼がいわゆるガチムチの男性と抱き合っているものだった。
※相当控えめに表現させていただいてます。ご了承ください。(お辞儀の画像)

女の人は、慌ててテーブルの上の本に手を伸ばしている。
見たところ、同じ表紙のもの。
あ、このイラスト集…薄い本だったのね。この世界にもあるのか、そういうの。
いや、人がいるところに創作あり。文学でも普通にあるしね。
というか、この相手の男性、そもそも誰?

そして、今までのこの人の態度も理解ができた。
恋愛感情ではない。それでも彼を信奉するような口調。
そんなこの人が、私に彼から離れてほしいと言った理由。
なるほど、そういうことだったのね。
納得はしないけど。


「あ…、あ、あ…。」


私の隣では、彼が顔を真赤にさせながら慄いている。その身体を震わせる様は、まるで誰も応答しないスマホのバイブレーション。

それはそうよね。
私も驚きはしたしその内容の濃さにかなり引いているけれど、隣の彼の心情を思えば不思議と冷静になれた。
動揺している人がそばにいると、自分は冷静になれるの法則。
本人が一番ショックだよね。自分が題材になってる、年齢制限最高値の本だもの。これは、シンプルに怖い。
あとは本人の恋愛観の問題だけど…そこを彼に真正面から聞けているなら、私は自分の片思いをここまで拗らせていない。
と、私が状況を分析していると。


「嬉しい! あなた様御本人にこれを見ていただける日が来るなんて!」


顔を紅潮させたあの女の人が、テーブルの上の本を1冊手にしながら彼に迫っていた。
それはもう鬼気迫る勢いで彼に詰め寄り、持論を捲し立て始めた。

「美しくて賢くて強いあなた様には、この彼のような逞しい男性こそがお似合いなのです! こちら私の自信作で…」

ちょちょちょ。待ってーー!!!!
あまりの怒涛の展開、女の人の迫力に、私は頭も身体も動かなくなった。
これ、止めたいし止めたほうがいいんだろうけど、どうしたらいいの?
彼も何が何やらどうしたものなのか、動きが止まってる。

止めなきゃ…止めないと…彼が困ってる…それ以上彼に近寄らないで…触らないで…

私の頭の中が暗い思考に満たされ始めた、その時。


ぷちーん。


私の隣から、そんな音が聞こえたような気がした。


「発禁! この本は発禁に!!」


冷静さを失った彼が、手にしていた本を片手で握り潰しながら訴え始めた。
鬼のような形相…こんな彼の顔、初めて見た。
物凄く必死になって女の人から距離を置きつつ、彼は全ての薄い本を取り上げようとし始めた。
女の人も自分の描いた本が彼自身から否定されたからか、これまた強い調子で『自分の考える彼の幸せ』について主張を始める。


「あなたの思想を否定するつもりはありませんが、僕の考えや意思とは全く違う内容の本を発行するなど言語道断です!」


そう言いながら、彼は女の人に説教をし始めた。

そっか…。少なくとも、あの本のような男の人やあの女の人がライバルになることはないわけか…。

こんな時に、自分の心を守りに掛かってホッとしてしまう。
嬉しいけれど、こんな自分はやはり彼には相応しくない。

目の前の喧騒とは真逆の音のない暗闇に心が呑まれそうになった時、背後からふわりと芳しい香りがした。

「来ていただいてありがとうございます。こちら、サービスです。」

振り向くと、マスターが私達の座るはずだったテーブルにコーヒーを2人分、ことりと置いていた。
ミルクピッチャーと砂糖の入った小瓶、そして美味しそうなクッキーが乗ったお皿まで一緒に。
ただのサービスにしては立派過ぎる内容に、私は逆に尻込みした。

「いえ、申し訳ないです。ここまでしていただく理由もありませんのに…。」

カップを見つめると、香り高い黒がそこには広がっている。
色に罪はないのに、私は自分の心の醜さをまた思い起こしてしまった。

「とんでもない、理由はおおありですよ。本当に助けられましたからね。これぞ神の采配というものでしょうか。」

そう言ってお辞儀をするマスターの横から、げっそりと窶れた彼が戻ってきた。お説教も終わったらしく、大量の本を小脇に抱えている。
彼はその本を私達のテーブルに置くと、またさっきと同じようにポンと私の肩に手を置いてくれた。
その手の暖かさは優しくて心惹かれるけれど、今の私にはあまりにも勿体なさすぎる。

そんな私達を見て、マスターはまた丁寧に深くお辞儀をした。
そして渋く響く低音で、優しく私達に話してくれた。

あの女の人は、話によるとマスターのオーナーのお嬢様らしい。
男性同性愛を外から眺めるのが大の趣味らしく、今までも同じような騒ぎを何度もこの店で繰り返してきたのだそう。
それが原因でなかなかお客さんも寄り付かなくなってきたところ、今日は女の人が持つ本の表紙の人物を見てさすがにマスターも頭を抱えた。
今までは女の人の家の権力で相手の男性を黙らせてきたけれど、今回の表紙の人物は邪神討伐の功労者。
元々この国の皇帝に仕える家系の彼は、その働きから今や国での立場は以前よりもかなり高い位置にいる。権力でどうこうできる相手ではない。本が出回ってからでは、遅過ぎる。
どうしようかと悩んでいたところへ、物凄い偶然が重なってちょうど彼がやってきた。彼は以前から身分に拘らず色々な場所に出入りして交流を持っていた人なので、このお店に来ること自体は珍しくはない。

これなら、あの年齢制限最高値の彼の本が出回る前に何とかできる。

そう踏んで、マスターは神に感謝しつつ私達をこの席に誘導したそう。
わざと彼にあの本を見つけさせ、あちこちに出回る前に止めるために。
自分では止めることの出来ない彼女を、止めるために。


…うわー、謀られた…。


ただ、あの本が売り捌かれる前に止められたのは僥倖と言うべきなのか。
心の底からスッキリしたようなマスターに代わって、今度は私が頭を抱えた。
これは、どう処理すればいいのやら。
向かいの席に付いた彼も、魂の抜けたような表情をしている。激しい議論があったという日でも、そうそうない表情だ。

彼の心境とこの後の心労を思えば、確かにこれはいただいても問題ないか。

とりあえず状況を把握した私は、いただいた自分のコーヒーにミルクを入れた。
カップの黒に注がれた白は芳しい香りに優しい甘さを加え、柔らかなセピア色になった。

「…本当に全てを止めることが出来てホッとしました。あなたにも苦労を掛けてしまいましたね。」

ぽつりと零すように、私にそう言ってくれる彼。
彼は珍しく私と目を合わせることがなく俯いて、頬を少し赤くして自分のカップの中身を見続けながらコーヒーを飲んでいる。
あんな内容の本を他人である私に見られてしまったんだもん、無理ないよね。

「いえ、気に病まないでください。気にしてませんから。結果止めることができたんだから、よかったですよ。」

私は努めて明るく、そう答えた。
どこまでも私を気遣ってくれる、優しいあなた。
目の前のそんなあなたが、気に病まないように。これからも、私に気を使い過ぎないように。

すると、ふと顔を上げた彼と目が合う。
あなたに元気になってほしい。私が願いを込めて微笑むと、彼はほんの少し困ったような表情の後ににこりと微笑み返してくれた。

今日のこの騒動も私の暗い心の中も、いつかは思い出になってあなたと笑って話せる日が来るといいな。
そう思いながら口にしたコーヒーはとても美味しくて、丸くて優しい苦みだった。


…皆様、せめて公式にはバレないようにひっそり活動しましょうね…

11/1/2024, 9:47:26 AM