「ちっ、くそ上司が!」
部屋の中で悪態を付きながら、クビリとビールを煽る。
今日は定時で帰る予定だったのに、上司のちゃぶ台返しによって残業になってしまった。
当の本人は『用事がある』と言って帰りやがった。
あんまりムカついたので、同僚総出で上司の机を『馬鹿には見えない机』にしてやった。
普段から『自分は天才』発言してるから、きっと引っ込みがつかないだろう。
いい気味だ。
だけど、俺の心は満たされない。
こんなことをしても無意味だと分かっている。
嫌がらせが大成功したところで、給料は上がらないし、彼女も出来ない。
大衆に称えられたりもしない。
どうしてこんなことになったのだろうか……
俺は本当はもっと優秀な人間なのだ。
もっと高い地位にいるべき人間なのだ。
けれど未だに出世は叶わない。
無能な上司は、俺の能力を見抜けないばかりか、仕事を増やす始末からである。
無駄な仕事ばかりで、俺の才能は日の目を浴びることは無く、いまも下っ端のままである。
未来に夢を見ていた俺はいない。
今では人生に絶望し、ビールくらいしか楽しみが無い。
どうしてこうなったのか――いや分かってる。
転機はあの時だ。
社会人3年目のこと。
会社を辞める同僚から、会社を作るから一緒に来ないかと誘われた。
でも俺は一蹴した。
そんな博打なんて打てないと断ったのだ。
俺は無難に会社に残ることを選んだ。
けれど今でも思う。
同僚と一緒に独立していれば、大金持ちになっていたのかもしれない。
あるいは仕事に張りが出て、楽しい人生を送っていたかもしれない
俺のもう一つの物語。
決して届かない『もしも』の話。
現実の俺が落ちぶれる程、それは俺の中でさらに輝いていく。
なんて惨めなんだ。
俺はやけくそで残りのビールを飲み干そうとした、その時だった。
「お悩みのようですね」
「誰だ!」
突然後ろから声がする。
振り向くと見知らぬ男が立っていた
警察に電話すべきとも思ったが、男の放つ異様な雰囲気にのまれてしまい、体が動かなかった。
「お初にお目にかかります。
ワタシは『もう一つの物語』の悪魔。
『あそこでああすればよかった』……
そんな思いを抱く人間の前に現れる、か弱い悪魔でございます」
「帰れ!
どんなに落ちぶれようと、悪魔に魂を売り渡す気はない」
俺が精いっぱいの虚勢で叫ぶ。
だが俺の心の中を知ってか、悪魔は少し笑っただけだった。
「いえいえ、アナタ様に気概を加える気はありません。
魂もいりません」
「なんだと?」
「ではワタシは仕事をさせていただきます」
「仕事?」
「ワタシの仕事は、望むものに人間の『もしも』を見せる事です。
ああ、ご心配なさらず。
アナタに何かを要求しませんから」
俺が呆然と見つめる中、悪魔はテレビに近づく。
するとテレビが映像を映し出した。
「こちらをご覧ください。
これが『もしも』のアナタです」
「こ、これは……」
テレビに映し出されたもの。
それは――
『ちっ、くそ取引先め』
そこに映ったモノ、それは愚痴を言いながらビールを飲んでいる自分の姿。
愚痴の相手が、上司から取引先に変わっただけ。
それ以外はまごうことなき自分だった。
俺は目の前の現実に打ちのめされる。
『俺は本当は出来るやつなんだ』。
『だからあの時、違う道を選べばよかった』
『そうすれば俺は成功者だ』
俺はそんな思いを胸に、今まで頑張って来た。
けれど、俺はどこへ行ってもダメなままらしい。
最後の希望が打ち砕かれ、その場に崩れ落ちる。
「ヒャッハアアアア。
それ!
それですよ、私が見たかったのは!
その絶望した顔、魂より美味です!」
落ち込む俺を見て、悪魔がこれ以上ないほど喜んでいた。
やはり悪魔。
くそ悪魔だ。
「待ちなさい」
「誰だ」
悪魔が笑っていると、突然女性の声がした。
声の方を見ると、清浄なオーラを纏った聖母のような女性が立っていた。
「私は天使。
『もう一つの物語』の天使。
貴方を救いに来ました」
「天使ぃ、いいところなんだよぉ。
私の邪魔をすr―――――ごへえ」
悪魔が天使に突撃するが、鎧袖一触、片手で振り払われた。
天使は悪魔を一瞥すると、俺の方を振り向く
「アナタ、大丈夫ですか?」
「あんまり大丈夫ではありません」
「そうでしょうね……
ですがご安心下さい。
この映像は偽物です」
なんだって。
この無気力なおっさんは嘘だって言うのか
少しだけ元気が出てきた
「では見せましょう。
真実を」
天使の言葉と共に、テレビに新しい映像が映し出される。
それは――
『ガハハハハハ、お金がどんどんたまっていくぜ!』
テレビに映る映像。
それは、バカみたいにハイテンションな自分の姿だった。
羽振りも良さそうで、美女を何人も侍らせている。
これが、俺?
「これが、もう一つの物語。
あの時の選択が違っていれば、あなたはこうなっていたのです」
つまりあの時独立していれば大金持ちに?
……俺は選択を間違えて……
俺は体中の力が抜け、地面に倒れる。
俺の抱いていた思いは正しかった。
でも、俺が見たかった『もしも』はこれじゃない!
どんな『もしも』だったら満足していたかは分からない。
けれど目の前に映し出される映像は、俺を絶望のどん底に落とすには十分だった。
「天使も酷いことをする。
ですが、ワタシが偽の映像を出した理由が分かっでしょう?」
すぐ近くから悪魔の声がする。
どうやら倒れた先は、悪魔の隣だったようだ。
「ワタシもそのまま出すのはやりすぎと思いましてね。
映像をいじらせていただきました。
悪魔だって、一つまみくらいなら慈悲の心があるんですよ」
その声は、不思議と優しさに溢れていた。
10/30/2024, 1:44:50 PM