《時を告げる》
”カーン、ゴーン、…”
お昼ちょうどを知らせる、帝都の鐘の音。
いつもならこれと同時に本部のチャイムも同じリズムで鳴るはずなのだけれど。
”カーン、ゴーン”
”…リーン、コーン、リーン、コーン、リーン、コーン、リーン、コーン”
10秒か20秒か、ズレています。
「これは…」
「故障ですかね?」
私は彼と顔を見合わせて言った。
このズレが気になるのか、彼も微妙な表情をしている。
ここ帝国は、よそに比べて機械が発達してる。
特に帝都では、朝昼晩の時刻を知らせる鐘の音も機械によって鳴らされているほど。
毎日専門の職人さんがメンテナンスしているからか、今までズレを見せたことがないらしくて、私は本当に感心していた。
そして、その帝都にある軍の本部は無論、全ての技術が集まる所。
当然時計やチャイムを含めた全ての機械が、世界レベルで見ても最先端の物ばかり。
なんだけど。
時計とチャイムのメンテナンスを担当する部署で事情を聞いてきた彼が話すには、
「両方を扱える技術者が今、高熱で動けないのだそうです。」
動力の中でも精密な部分の調子が悪くなってしまったらしく、そこを修理できる技術者は数が少なく。
更に機密だらけの場所に立ち入れるとなると更に限られてしまうそうで、しばらくはこのままの状態が続くみたい。
「高熱は大変ですね。早く治まるといいのですけど。」
部屋を出て、移動しながら彼と話す。
無理すると後に響くから、しっかり治して復帰してほしいな。
彼はふわりと笑ってそうですね、と答えてくれた。
そして時間は過ぎて、終業1時間余り前に。
外は、ぼちぼち日が傾いて赤や橙が差してきている。
「しかしあまり差し支えないとは言え、チャイムに関しては何か対策は立てないといけないですね。」
少し困った顔で、机から顔を上げた彼が呟いた。
「確かにいつもきっちり同時に鳴るものがズレてると、何かモヤッとしますよね。」
こう、財布の中のお札が1枚だけはみ出てるとか、本棚の本が1冊だけ飛び出てるみたいな。
そう思って彼に返事をすると、
「いや、そうではなく。…まあ今日に限ってというのもそうないか…。」
なんて、少し歯切れのよくない答えが。
どうしたんだろ。少し様子がいつもと違うな。
そうこうしているうちに、間もなく終業1時間前のチャイムの時間。
ここでは仕事の区切りが悪くならないようにするために、あらかじめ1時間前にチャイムを鳴らす事で、終業後に残業や持ち出しが発生しないようにしているのだそう。
余った時間は明日の確認や、軽い会議に使うみたい。
すると、執務室のドアが頓にドンドンドンと鳴り出した。
ノック…もはやアタックでしょ、これ。
「嫌な予感がしますね…。」
そう言って表情を固めた彼が、ドアの音の主に入室を促した。
その瞬間、物凄い勢いで初老の男性が駆け込んできた。
そして、ここで終業1時間前を告げるチャイムの音。
”…リーン、コーン、リーン、コーン、リーン、コーン、リーン、コーン”
駆け込んだ初老の男性は身体を前傾させ、息をぜえぜえ切らしながら嬉しそうに書類の束を彼に差し出した。
「よかった間に合った! この書面のチェックとサインを明日の朝まで頼みたいのだが!」
カキーン。
執務室の空気が凍り付く音がした。
彼は机の上で手を組み、にこやかに初老の男性に向き合った。
でもね。目が笑ってないんですよ。
静か〜に怒っていらっしゃる。怖っ!
「何ひとつ間に合っていません。貴方も上に立つ者として、時間は正確にお願いしますよ。」
正論! 確かに!
それでも初老の男性は机に駆け寄り、しぶとく食い付いてきた。
「いや、チャイムが鳴るまでには間に合ったじゃないか! 君も見ていただろう!」
そして、何故か私に同意を求めてきた。
いやいやいやいや。
私は、必死に頭を横にぶんぶん振りまくった。
彼が怖いのもまああるけど、間に合ってませんよ。だって…。
「あのチャイムは故障していて遅れていたんですよ。だから間に合っていないんです。」
上が終業時刻を守らないと下が休めない。
彼はこの地位に就いてから、それを徹底してきてるそう。
だから一緒に行動する私も、遅くまで執務室にいる事は全然なかった。
「貴方の相手は私でしょう。そして、貴方以前にも同じ手口で駆け込んで来ましたね。注意させていただいたはずなのですが。」
その方針もあって彼は書類の受け取りを拒否しているのだけれど、初老の男性は頑として譲らずワーワーと喚き立てている。
「こういう駆け込みがあるから、時間は正確で明確にしておきたいのですよ…。」
彼はげんなりした様子で、これは残業確定だと呟いた。
食堂は場所柄、まだ開いている。
後で何か、彼に頭がスッキリする物でも差し入れようか。
彼の疲れが心身共に少しでも抜けますように。
私は、窓から覗くほんのり赤い空にこっそりと祈った。
9/6/2024, 2:28:17 PM