弟が不登校になった。
学区内で1番頭のいい公立高校の合格を蹴って、有名大付属の私立に入ったくせに不登校になった。
私の家はシングルマザーで、金銭的余裕がなかった。
年子だったこともあって私の受験の時、母はこれでもかとプレッシャーをかけた。
普通どこかの高校には行けるようにと公立高校だけでなく私立高校に併願をかける。それすら許されなかった。
頭が良ければレベルを下げればいい、けれど私は馬鹿だったから学区内で1番頭の悪い高校もC判定だった。
面接練習を死に物狂いで頑張って、なんとかその高校に推薦で入ったけれど空気感が合わず2年になって不登校になった。
ずっと弟が羨ましかった、弟は私と違って私立の併願を何校も受けさせてもらえて、ずっと行きたいと願っていた私立高校に入れさせて貰えた。そもそも公立と私立では設備が違うのだ、私の第一志望は県内でも有数の吹奏楽強豪校だった。そこで演奏がしたかった。
それなのに、不登校になるなんて絶対に許せない
弟が不登校になってから家庭環境は劣悪だった。
誰もご飯を食べない、誰も会話をしない。
母も鬱のようになった。私も弟も腕はリスカの跡でいっぱいになった。
1度だけ、弟と殴り合いの喧嘩をした。
お互い学校にいけと言って最初に手を出したのは向こうだった。泣きながら殴ってきた。
弟が泣く姿を見たのはこれが最後だった。
学校のカウンセラーに心療内科を勧められた。
睡眠が取れず1週間の平均睡眠時間は15分だった。
家だと落ち着かずずっとベランダから夜空を眺めて本を読んでいた。眠れなかった。
一緒に無理やり弟を引きづって連れていった。
心療内科なんて行かなくていいといった母と祖母に泣きながら「弟はこのままだと死ぬ、人殺しになりたいのか」と訴えた。
弟は電車に乗れなくなっていた。
だから途中で何回もおりて休んだ。
2人とも無言だった。
診察を終えてから2人で祖父に供える花を選んだ。
毎回の恒例行事にした。少しでも外に出したかった。
2人とも体調のいい日は、駅ナカのカフェでお茶をした。
弟は紅茶を、私はシフォンケーキを頼んだ。
それから暫くして、コロナで学校が休校になり、引きこもりが合法化された。
母も落ち着いて、3人でよくご飯を食べるようになった。
それまでは3人でご飯と言ったら外食だったけれど、母がご飯を作るようになった。
皆でアニメを見ながら食卓を囲んだ。
休講期間が開けて、弟も私も学校に行くようになった。
私は大学生になった。夢の看護学生になった。
弟も大学生になった。一時期そのまま付属大への進学は難しいと言われていたけれどなんとかなった。
私は学校を留年した。医者に言われたようにメンタルがもたなかった、合わないらしい看護業界は。
弟は家に返ってこなくなった。たまに帰ってきても朝帰りで死んだように眠りにつく。夜になると女の子と電話をしている。
今、病院には1人で通っている。
通うのがしんどくなって通ったり通わなかったりを続けている。
あの時余裕がなくて見ることの出来なかった駅ビルを見に行くと、無印やLOFTなどが入った大きい施設だということに気がついた。
病院からは綺麗な景色が見える。
12/1/2023, 6:22:59 AM