『カレンダー』
「ん?」
馴染みの古本屋で掘り出し物のミステリーを探していた私は、1冊の本を手に取り首を傾げた。
色褪せた文庫本はおよそ300ページ。そのちょうど真ん中辺りに1枚の紙が挟んであった。
最初は前の持ち主が栞代わりにでも挟んだのだろうかと思ったのだが、どうも腑に落ちなかった。
紙といってもメモ用紙やコピー用紙でもなければ、スーパーのチラシやレシートなんかでもないのだ。
4つ折りにされた紙を開いて私は思った。
一体、誰がなぜカレンダーを本に挟んだのだろうか……
上の方が大雑把に引きちぎられたようになった1ページ分のカレンダーは9月の日付で、いつの年のものかは書かれていないものの、日付と曜日の組合わせからして今年のものに間違いなさそうだった。
このカレンダーはおそらく毎月ページを切り離してめくるタイプのカレンダーだ。だから、いらなくなった前の月のページを咄嗟に栞代わりにしたというのなら分からないでもない。
だが、これはそういうことではない。
なぜなら今は9月、しかも今日は9月が始まってまだ5日目なのだ。
私は思わず、そのカレンダー付きの古本を店主のいるレジへ持っていった。どちらにしろ、ちらりと見た感じでその本自体に興味を惹かれていたのだ。まあ確かに、決め手は謎のカレンダーの存在だったのだが。
店を出て家に帰る道を行きながら、再び本の間から先程のカレンダーを引っ張り出した。
このカレンダーの持ち主は、まだ始まったばかりの今月をカレンダーなしで過ごすのだろうか。今の時代、スマートフォンがあればそう困ることもないのだろうが、そうまでしても本の栞になるものを必要としていたというのだろうか。
ふつふつと疑問が湧き出すものの、答え合わせの方法は検討もつかない。
ミステリー好きの性だろうか。店を出てからもずっとその謎が頭から離れなかった。
いっそのこと、古本屋の店主にこの本の前の持ち主のこと聞いてみたいと思ったが、私がそれなりにあの店の常連とはいえ、さすがにただの客に個人情報を教えてくれるわけもないだろう。そもそも、まったく他の客がカレンダーだけを適当な本に挟んで店を去った可能性もあるのだ。
ぐるぐると頭の中で考えを巡らせていたせいか、最短で家に帰るために曲がるべき角をいつの間にか通り過ぎていた。
だが、そのお陰で私はあることに気がついた。
古い家が並ぶ入り組んだ路地を抜けた先の大通りで、今まで隠れていた太陽が頭上に現れ、手元のカレンダーを照らす。
あれ? と思った。
カレンダーの9月12日——ちょうど今日から1週間後の欄に、わずかだが何か文字が消されたような跡がある。
心臓が一度ドクンと強く打った。ようやく謎を紐解く手がかりを見つけたかもしれない。
急いた気持ちで足がもつれそうになりながらも、できる限りの早足で私は家へと急いだ。
本やドラマではよく見たことがあるが、実際に試すのは初めてだ。
何かの景品でもらった新品の鉛筆を探してきて、唯一家にあった色鉛筆用の鉛筆削りで先をがりがりと削る。そして、元々何かが書かれていたであろうカレンダーの1か所をそっとなぞった。
だが、なぜだろうか。いくら鉛筆を動かしても思ったように文字が現れない。それどころか、白い部分がただただ深い灰色に塗られていくばかりだった。
私は静かに肩を落とした。
どうせ文字が現れたところで何が起こるわけでもないのだ。落ち込んでも仕方がない。
これも誰かにもらった新品の消しゴムの封を開け、鉛筆で塗った部分を綺麗に消しながらまた考える。
その時ふと、買ったばかりの古びた本のタイトルが目に入った。
「——なるほど、その手があったか」
それから1週間が経った9月12日の午前10時50分。私は駅前にいた。
駅前の広場には私の他に待ち合わせと思われる人々が数人いて、彼らはスマホをいじりながら、時々誰かを探すように顔を上げた。
私は空いていた広場のベンチに1つに腰を下ろし、カバンから例の古本を取り出す。
買った日に1度読み終わり、その余韻のままその日に所々読み返したので、これでおよそ3周目ということになる。
想像以上にこの本はとにかく面白かった。いや、それ以前に私の好みにどストライクだった。
これが特に知られた作家の知られた作品というわけでもないことを考えると、カレンダーの持ち主とはもしやさぞ気が合うのではないかと思ったことも、私が今日ここに来た理由の1つだった。
こうして来てはみたものの、本当に誰かが現れるかどうかは正直賭けだ。それに誰かが現れたとして、自分が何をしたいのかも実のところよく分からない。
ただどうしても気になって、いても立ってもいられなくなってここまでやって来てしまった。
緊張で速くなる息を整えようと、カレンダーを挟んだ本を一旦閉じ、顔を上げる。
その瞬間、一人の男性と視線が合った。
いや、正確に言うと、私は彼を見ていたが彼は私の持つ本を見ていた。そして元からまん丸い目を、より一層まん丸くした。
ああ、この人がこの本にカレンダーを挟んだ人なのだ、と直感した。
『氷の摩擦』と書かれた本のタイトルと一緒に、ここに来る前に買ってきた『こすると消えるペン』を男性に見せると、彼は表情を崩して可笑しそうに笑みをこぼし、それから頷いた。
この本のタイトルをカレンダーの謎と結びつけて考えなければ、私はここまで辿り着くことができなかっただろう。
この類のペンで書いた文字は、摩擦で消えてしまったとしてもある程度冷やすことで元に戻るというトリックを以前他の小説で読んだことがある。
それを思い出したのでカレンダーを一晩冷凍庫で冷やしてみたところ、予想通り文字が現れていた。
タイトルが明らかにヒントになっていることからしても、誰かが意図的にこの謎を作って他の誰かに解かせようとしているのだろうと思った。
当然怪しく思わなかったわけではなく、ここに来ることにまったく抵抗がなかったと言えば嘘になる。だが、謎を解きたいという気持ちの方が遥かに上回ってしまったのだ。
「もし、その本を気に入っていただけたのなら」
大きく1歩くらいの距離まで近づいた時、彼は言った。
ズボンの後ろポケットから彼が1冊の本を取り出す。
「僕とお茶をしませんか——」
何度も読み込んだのであろう彼の手にある本と、これからもっと読み込んでいく私の手の中の本。
本を胸の前に抱いた私はそこから小さく1歩踏み出す。
「——はい、ぜひ」
9/11/2024, 4:45:24 PM