にえ

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お題『夏の忘れ物を探しに』
(一次創作『この夏、君と忘れない』夏菜子のターン)


 私が教室に入ると視線が一斉に集まって、みんなのおしゃべりが一瞬止まった。
「夏菜子、ちょっと、こっち!」
 聡子に腕を掴まれて教室の外に引きずり出された。それから、ごく小さな声を耳に寄せてきた。
「あんた、噂になってる」
「はい?」
「末廣くんと付き合ってるって」
「……はいぃぃぃ?」
 思わず声も大きくなりましょうて。だって、3日前に振ったばかりの人となんでお付き合いをするのか?
「ばっかじゃないの! 誰よそんなこと言ったの!?」
 馬鹿扱いしたものの、その噂の出所はどうせ知れている。大方クソ野郎末廣がスピーカー向井にホラを吹いて広めているのだろう。

 あいつがそう出るのだったら、こっちにも考えがある。
 人の噂には背びれ尾ひれがついて捕まえることなんてできないし、ひとりひとりに言って回るのは効率が悪すぎる。
 そこに【たまたま】やってきた向井千佳子は、よほど楽しいらしく満面の笑みを浮かべている。
「おはよう、未来の末廣夫人」
 何言ってんの、コイツ。
「将来を誓った仲なんだって?」
 なんて下卑た視線を向けてくるんだ。
「何をおっしゃっているのかさっぱりわからないわ」
 腹の中は煮えくり返っているけど、顔は努めてクールに。
「またまた。末廣くんが言ってたわよ。先日、図書室で将来を誓い合ったって」
 ほーら、やっぱりそういうこと。
 このおバカさんは上手いことあんのクソ野郎に使われただけか。それじゃあ、私のBL小説であればモブCにすらしてあげたくもないアイツも、私に仕返しをされても仕方ないわよね?
 もしも奴がひと夏の忘れ物を美化したいのであれば、それを直視できないほどセンセーショナルなものに書き換えるだけ。探したくなくなるくらい、原型を留めないほどにね。
 私は、芝居がかった声をスピーカーに吹き込む。
「それは真っ赤な嘘よ、向井さん。あなたという聡明な方がそんな与太話を信じるとか、それこそ信じられないわ。
 私はね、彼に抱きつかれたから足を踏みつけて逃げたのよ。ここでは言えないような変なことされそうになったの。あなたにだったら、この意味を分かっていただけると思うの。
 それに、」
 私は息を、すぅ、と吸い込んだ。
「私には生まれた時からのお付き合いになる幼馴染みがいるの。週末はその彼が出場する陸上の大会があるから、そんなことにはかまっていられないわ」
 すると向井さんは目を見開く。
「へ、変なことされそうになった!? それに生まれた時からの恋人!?」
「ええ、そうよ」
 内心少し「あれ?」となった。私の思っているニュアンスをたった今歪められた気がするのだけど……まぁいっか。
「そんなわけだから、末廣くんにかまけている時間なんてないの」
 それではね、オホホ……と付け加えてその場を去った。
 教室に入ると由香里がこちらに向かって親指を立ててきた。

 私の何気ないそのセリフが、とんでもない事態へと発展してしまうことになろうとは、このときの私は微塵にも思ってもいなかった。

9/1/2025, 11:56:21 AM