あるまじろまんじろう

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 すぐ近くに地面を踏む音が聞こえ、クラウディオスは開いていた本を閉じた。腰掛けた体勢はそのまま、肩から音の方へふりかえり、姿を隠したつもりでいる彼を視界にいれる。

「弓が見えてるよ、ディッパー」

 ディッパーと呼ばれた少年は、悪戯っぽい笑顔を浮かべて岩の影から顔を覗かせた。クラウディオスは本に顔を戻し、再びページを開く。ディッパーはその様子を岩の影からつまらなそうに見つめ、ついには、傍らの弓を掴んでクラウディオスの隣へ座りこんだ。

「すごいねぇ、トレミー。君はどうしていつも、僕の隠れた場所が分かるの」

 ディッパーは弓をそっと地面に置いて、体操座りでクラウディオスの愛称を呼ぶ。クラウディオスはそれに一瞥もくれず読書にふけるが、ディッパーは変わらず弓を人撫でした。

「トレミーはなんでも分かるんだってヴィルゴにいったらねぇ、あのこ、ふんって笑ったんだ。僕は隠れるのが下手だから、すぐ分かるのよってさ」

 クラウディオスはページを捲った。ディッパーは本にびっしり詰まった文字を読んでみるが、クラウディオスにしか読めない文字だったので、すぐに新しい話を始めた。ディッパーはクラウディオスと話をする時間を気に入っていた。毎日こうしてクラウディオスの元へやって来ては、話をして帰ってゆくのだ。

「以前の僕なら分からなかった。ヴィルゴは僕のことバカにして笑ってるて」

 クラウディオスは文章をおう目をとめ、相変わらず感情の読み取れない瞳でディッパーに視線をやった。うつ向くディッパーはそれに気がつかぬまま、一度吐き出して止まらなくなった感情を吐露する。

「賢くなったら、もっと皆とお話できると思ってたけど、実際は、見えていた世界が変わってしまっただけなんだよ」

 ディッパーは弓を撫でた。

「僕、まだこれから賢くなるだろ。その度に好きな人たちの本当をみてしまうなら、やっぱり僕賢くなるの嫌だな」

 クラウディオスは読んでいた本をディッパーの膝の上にのせた。分厚いそれはずっしりとディッパーの膝に重さを伝え、ディッパーはクラウディオスを見上げた。

「もうそろそろ、新しい子が加わるよ」

 無意識だろう、寂しげな表情とは打ってかわって目を輝かせ始めたディッパーに、クラウディオスは不器用に微笑んでみせた。その可笑しな表情をみて、年相応に笑顔で笑うディッパー。

 ディッパーは本の上、びっしり詰まった文字を指の腹で撫でる。文字こそ分からないが、おそらくここに『新しい子』についての情報がのっているのだろう。

「どんな星座なの」

 クラウディオスはページを捲り、文字を指差した。ディッパーは文字を読めないのでクラウディオスの音読を静かに聞いた。

「彼は蠍座。名前はアンタレス。君と気が合うだろうね。きっと隠れるコツを教えてくれるよ」

 クラウディオスはディッパーのさらりとした頭髪を指でとく。嬉しそうに頭を預けるディッパーに、クラウディオスはそれとね、と続けた。

「先にばらしてしまうのはつまらないけど、思い詰めているようだし、教えることにした。君はまだ賢くなる。これは、自覚してるね」

 ディッパーは頷いた。

「うん。でも、嫌なんだ。ヴィルゴの笑顔が、喜びからくるものじゃなくって、僕のことバカにしたものだって、気付きたくなかった」

 クラウディオスは静かに目線を落とすとディッパーの膝の上から本を取り戻した。

「いいかい、ディッパー。善と悪、これは人間ならば必ずもつ二面性だ。どちらかしかない人なんていないのに、私たちは他人と関わりをもつ時、どちらか一面しか見られなくなることがある」

 ……一面、と繰り返して呟いたディッパーは、クラウディオスを見上げた。

「今の君には悪いところしか映らないのだろうけど、君とヴィルゴが友人だったのは、勘違いじゃないと思うよ。――ヴィルゴとは、もう会いたくないのか。君が好きに決めなさい」

 ディッパーは黙り込んだ。沈黙を守りながらも、雄弁にものを語る瞳にクラウディオスは気がつく。

「トレミー、君やっぱり凄いや」

 礼を言って走り去ってゆく背中は見送らずに、クラウディオスは新しいページを開いた。



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10/6/2023, 6:36:22 AM