喧嘩をした。
きっかけは本当に些細な事だった。約束の時間に間に合わなかった。ほんの数分だけ。ただそれだけ。
それでも幼馴染にとっては、その数分間がとても恐ろしい事だったようで。
「もういい!ひさめなんか、き、きら……すきじゃないっ!」
涙を湛えた琥珀色の瞳で睨みながら、言い捨て走り去っていった幼馴染を思う。
嫌い、とは言われなかった。言いかけて、結局曖昧な言葉に変換された。
好き、は簡単に言葉にできるのに。
普段の幼馴染を思い出す。
嬉しい時。上機嫌な時。何気のない日常の一コマに。
「ありがとう」と「好き」をよく口にしていた。感謝と好意は同列だった。
嫌い、はたとえ嘘でも言葉に出来ないんだ。
今までは意識していなかった「好き」の重さ。例えるならば挨拶のようなものだと、あまり気にもとめていなかった。
けれど「好き」とは反対の「嫌い」は決して言葉に出来ないのならば、それはがらりと色を変える。「好き」はきっとホンモノ、だ。その時々の何かに対してではなく、自分という個人に対しての。親愛の意味を含んだ言葉。
気づいてしまった。
思考が停止する。途端に顔に熱が集まり赤くなる。
気づいてしまった事実を、まだ受け入れきれない。それほどまでに衝撃的だったから。
けれども今優先すべきは、走り去ってしまった幼馴染を追いかける事。泣き虫で寂しがりやな彼女を一人にはしておけるわけがない。
頭を軽く振り意識を切り替えて、幼馴染の背を追う為駆け出した。
喧嘩をした。
きっかけは本当に些細な事だった。約束の時間に間に合わなかった。ほんの数分だけ。ただそれだけ。
それでもたった数分の一人は、不安で、寂しくて、怖かった。
膝を抱え、ため息を一つ。
嫌われてしまっただろうか。好きではないなんて、心にもない事を言ってしまったから。
「嫌い」の言葉は、言えなかった。それだけ幼馴染が「好き」だから。
たとえ嘘でも、思っていなくても言葉にするのは怖かった。
「しおんっ!」
聞こえた幼馴染の声に、はっとして顔を上げる。
息を切らせながらこちらに走ってくる姿を認識して、涙が溢れ出した。
「しおん。ごめん。ごめんね」
何故謝るのだろう。幼馴染は悪くないのに。
たった数分間を待てなかったのが悪いのに。酷い事を言ってしまったのに。
「ちがっ…ごめっ、なさい。ひさめ。ごめんなさいっ!」
涙が止まらない。
「すき、じゃな…うそ、いって。うそっ、なの、に。いった、の」
「うん。大丈夫、大丈夫だから」
優しく頭を撫でてくれる。
いつだってそうだ。幼馴染はいつでも優しい。優しくて、強くて、かっこいい。自慢の幼馴染。
「ほんと、は、すき。だいすき、だからっ。ごめん、なさい!ひさめっ、すき。きらいっ、ならないでっ!」
「しおんっ。落ち着こう。嫌わないから。ねっ?とにかく、まず、落ち着こう?」
どこか焦っているような、幼馴染の珍しい様子を気に留めず。
嫌われたくないと必死で彼にしがみつき、ただ泣いていた。
20240613 『好き嫌い』
6/13/2024, 3:27:50 PM