六、君は今
その日、アルバートの屋敷に一人の男が姿を現した。民族衣装風の装いをした糸目が特徴的な壮年の男で、名をククリと言う。ククリは商人だ。海を跨いで北から南まで、世界各地で仕入れた稀少品や珍品といった類のものを数多く取り揃えている。アルバートはそんなククリの顧客のうちの一人だった。
ククリは神出鬼没な男だ。呼べば来ることもあるし、来ないこともある。呼んでもいないのに自らやって来ることもある。今回は後者だった。二人は応接間のテーブルを挟んで向かい合う。
「来るなら来るとせめて前もって連絡を寄越せ。こっちだって四六時中屋敷に居るわけじゃない」
「それだとつまらないでしょう。オドロキは人生を豊かにするのですよ、閣下。居なければそれまで。私はお暇するだけです」
目の前にいる男の無茶苦茶な言い分に、相変わらず食えない男だとアルバートは小さく息を吐いた。それでも彼を邪険に扱わないのは、ククリが突然アルバートの前に現れるときは大抵、目を見張る商品を仕入れてきているからだ。アルバートが請け負う仕事に役立つ物も存外多く、ククリが揃える品はなるべく目を通しておきたいというのがアルバートの本音であった。
「ですが、今回ばかりは居てくださって良かったです。貴方にどうしても見せたいモノがありましたので」
どこか上機嫌に笑うククリにアルバートは訝しむ。
「……お前がそんなことを言うのは珍しいな」
「きっと貴方は気に入りますよ。何せ、滅多に手に入らない至高の逸品ですから」
そう言うや否や、ククリはおもむろに立ち上がると、応接間の扉へ向かって歩き出す。
「おい。どこへ行く」
「もちろん、その至高の逸品を今から貴方にお見せするのです。扉の外で待たせているので」
「なに……?」
アルバートは思わず立ち上がる。そうしてククリが放った言葉の意味を、理解するよりも先に知ることとなった。
「待たせたね。君の新しいご主人様が中でお待ちだ」
ククリに促されるまま応接間に入って来たのは、彼の言う至高の逸品などではなく。
「……待て。何だそれは」
「見てお分かりになりませんか? 人間の子どもです」
まだ齢十五ほどの少女だった。
「どういうことか説明して貰おう」
アルバートは苛立っていた。理解など到底出来そうにもないこの状況を、糸目の商人の口から一から十……いや、百まできっちり説明させなければ気が済まないくらいには。そんなアルバートの様子とは裏腹に、ククリははて?と首を傾げる。
「説明も何も、見ての通りです、閣下。仕入れたものが人間の子どもだった。ただそれだけのこと」
「そういうことを聞いているんじゃない!」
アルバートの怒号にククリは肩を竦めてから、自分の傍らに立つ少女を見やる。ようやく観念したのか、ククリは仕方なしという風な具合でついぞ口を開いた。
ここからは少々きな臭い話にはなりますが……。彼女はいわゆる、奴隷区出身の子どもでして。薄汚い大人たちに一日中こき使われ、使い物にならないと捨てられたかと思えばまたすぐに別の大人に拾われ、かと思えば闇オークションにかけられ。そうして終いには、海の向こうへと売り飛ばされた。
私はとある知人のツテで得た情報の中に、私が懇意にしている仕入れ先が集まる区域で秘密裏に人身売買が行われていることを知りました。閣下、貴方もご存知の通り、私は商人の顔の他にもうひとつ別の顔を持っています。職業柄、秘匿義務がありますのであまり詳しいことは言えませんが、情報屋としての仕事の依頼で、上層部からある通達があったのです。そうして私は人身売買が行われている区域に潜入し、そこで見つけたのがこの少女だったというわけです。ええ、そうです。売られていたのです。……ただ、私も仕事ですので。情報を得て上に報告するにはこれはまたとない絶好の機会だと思いましてね。私は調査を続けるために、少々特殊な手を使って金銭の発生しない取引を見事に成立させ、こうして彼女を引き取ったというわけです。
「……話は大体分かった。お前の言うその調査とやらが終わって、ここまで足を運んだということも含めてな」
「さすが閣下。話が早くて助かります」
そう朗らかに笑うククリに対し、アルバートの眉間の皺は深くなるばかり。少女は終始無言だった。光のない瞳がぼんやりと虚を見つめている。
「……その子どもを体よく押し付けようというわけか」
「いえいえ。滅相もございません。貴方様が商品を気に入らないのであれば、商談はこれにておしまい。あとは持ち帰るだけに御座います」
ククリはやはり笑うだけだった。底の見えない、取って付けたような静かな笑みだ。
「持ち帰ってどうする。お前が引き取るわけでもあるまい」
「私とてそうしてあげたいのは山々なのですがね。あくまでも私は一介の商人に過ぎませんので、この子どもの生まれやこれまでのいきさつなんかの情報がどこかで漏れたりでもすれば、さすがに仕事を続けてはいられなくなります。いつまでも手元には置いておけないのですよ。……話が逸れました。つまるところ貴方様が気に入らないのであれば、別のお客様の元へと赴くだけに御座います」
いかがなさいますか?とククリが問う。
「……なにが一介の商人に過ぎない、だ。お前だってやってることはなんら変わりないだろ」
「嫌ですねえ、私をあんな薄汚い奴らと一緒にしないで貰いたいものです。私はこの少女の幸せを願っていの一番に貴方の元へとやって来たのですから。……閣下の力をもってすれば、彼女に付き纏う陰湿な影を揉み消し潰すことなど、造作もないでしょう?」
開いた二つの眼がアルバートを捉える。有無を言わさぬその視線にアルバートは押し黙った。
「それにですね。これは閣下にとっても良いことだと思うのです」
先ほどまでの剣呑な雰囲気はどこへやら、糸目に戻った目の前の男はからりと笑って見せた。ククリは人差し指を弾く。
「幼いころに父君と母君を亡くされてから、貴方はもうずっとお独りでしょう。親しい者も居らず……いえ、これに関しては閣下が寄せ付けないだけでしたね。ともかく、新しい家族を迎え入れるということはとても素晴らしいことだと思いませんか?」
開いた口が塞がらないとはまさしくこのことを言うのだとアルバートは思った。突然何を言い出すかと思えば。思わず頭を抱える。
やはり食えない男だ。こんな男の言うことなど、聞いてやる義理もない。……ないのだが、アルバートは己と一度たりとも目が合わないこの少女のことが、どこか引っかかっていたのもまた事実。
アルバートは深く息を吐く。他人の手の上で転がされるなど、この社会を生き抜くうえでは決してあってはならないことだったというのに。
「……分かった。その子どもは俺が引き取る」
「閣下ならきっとそう仰るだろうと思っておりました」
喜びを表すように、ククリは一度手を叩く。
「それで? 一体いくら支払えばいいんだ」
「そのことなのですが、今回お代は結構です」
アルバートは目を見開いた。根っからの商人気質であるこの男が、無償で他人に何かを与えることなど今まで一度もなかったからだ。
「……タダほど怖いものはないだろう。何が目的だ?」
訝しむアルバートに、まるで私が詐欺師のような言い回しをしますねと、ククリは大袈裟に眉を八の字に下げた。似たようなものだろ。そこまで出かかった言葉をアルバートは呑み込む。
「彼女の価値は貴方が決めるのですよ、閣下。金など目にもくれないほどに」
「どういう意味だ」
「閣下であれば、近いうちにでも自ずと答えが見えてくるはずです」
ククリはそれ以上、何も言うことはなかった。
屋敷を出ようとしたククリがふと思い出したように振り返る。
「ああ、そうでした。彼女のことはなるべく丁重に扱ってあげて下さいね」
「……なぜ?」
金銭面でのやり取りこそなかったものの、アルバートがこの少女をククリから買った時点で、もうこの屋敷の使用人であることは決定事項だった。アルバートはククリに問う。
「もちろん、彼女の新しい主は閣下なのですから、貴方が彼女をどう扱おうと私が口を出す権利はもはや少しもありません。……ただ、彼女、右目が見えていないようなのです」
「右目が?」
ククリの言葉にアルバートは少女を見やる。
「薬品か何かをかけられたのでしょう。彼女の出身を考えれば別段珍しくもないことです」
アルバートは少女のことを何も知らない。それでも彼女の主となった以上、アルバートは知っていかなければならない。例えこの少女が嫌がろうとも。
「蝶よ花よと接しろとは言いません。ただ、彼女が新しい地での生活に慣れるまでのほんの少しの間だけ、どうか寄り添ってあげて欲しい。……そんなしがない商人の囁かな願いを、頭の片隅にでも置いておいて貰えれば」
ククリはそれだけ言い残して、今度こそ屋敷から出て行った。そうしてすぐさま訪れる静寂を破ったのは、言うまでもなくこの屋敷の主人だった。
「お前、名前は?」
問いかけて初めて、少女はアルバートに目を向けた。片目が見えないせいなのか、どこかぼんやりしているようにも見える。
少女は首を横に振る。元よりないのか、それとも忘れたのか、はたまた捨てたのか。それを知る術など、今のアルバートにあるはずもない。
「なら、今からお前の名前はミアだ。異論は認めない。お前は俺が買った。俺の言うことには全て従え。覚えてもらうこともやってもらうこともそれなりにある。せいぜい音を上げない程度に働いてくれよ」
ミアと名付けられた少女はアルバートを静かに見つめたまま、か細い声で返事をした。
目を開けると見慣れた天井が視界に入る。ここが自分の寝室であることを自覚するのにそう時間はかからなかった。
懐かしい夢を見た。ミアと出逢った日の夢だ。
ぼんやり天井を眺めていると、不意にアルバートの上に影が差した。覗き込むようにしてミアがアルバートを見下ろしている。
「おはようございます、ご主人様。朝食の準備が出来ております」
アルバートからの返事はない。その代わり、伸ばした手がミアの頬に触れる。存在を確かめるかのようにひと撫ですると、そのままゆっくりミアの右目の位置まで移動して、今度は彼女の目尻を気遣うように優しく触れた。
「……目、痛くないか」
アルバートの口から紡がれたその問いに、ミアは一呼吸置いてから、「はい」と小さく頷く。
「もう痛くありません」
Mia(ミア)・・・「私の」
2/27/2024, 6:02:40 AM