sairo

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夢を見ていた。


「近づかないで!」

叫ぶ彼女の、その目の鋭さに足が竦む。
止めなければいけない。それは意味のない事なのだと。
だが意思とは裏腹に、体は動こうとはせず。声をかける事すら出来ず。

「邪魔をするなら許さない。綺麗事ばかりで、あなた達ばかりに都合のいい言葉を聞くのはもううんざりなの!」

そうだろうな、と不謹慎ながらに思う。
彼女ばかりが苦しんだ。皆、可哀想にと言いながらも、彼女に本当の意味で寄り添うことはなかった。
大切なもの、全てを奪われて。たった一人きりで、誰かに縋る事も許されず。
仕方のない事、受け容れなければいけない事と強要されて来たのだから。

あぁ、と声が漏れた。
彼女の想いに気づいた。見ない振りをしてきたものに、気づいてしまった。

「来ないで。嘘つきのくせに、今更前みたいに近づこうとしないで」

気づいてしまえば、体は軽くなる。彼女の元へ歩き出して。

「ごめんなさい」

涙に濡れる彼女を、強く抱きしめた。





ふと、気づけば一人、傘を手に立ち尽くしていた。

何故か、胸が苦しい。悲しい夢を見ていたような。
傘を打つ雨の音が、どこか微睡む意識を現へと引き戻していく。
頭を軽く振り、歩き出した。
今まで何をしていたのか、これから何をしようとしていたのかは、分からない。
だがこの道の先には、彼女の家があるはずだ。ならば彼女に何か用事でもあったのだろう。
深く考える事もなく。足は彼女の家へと向かい出す。
彼女に会って目的を思い出せるのならば良し。思い出せずとも、彼女と共にいられるのならば、それだけでもいい。足取り軽く、道を行く。
彼女と会うのも久しぶりだ。会って何を話そうかと、考えるだけでも心が浮かれた。
だがそんな浮ついた気持ちは、遠く見えた光景に一瞬で凪いでしまう。

道の先。家の前で傘も差さずに佇む彼女が、いた。

慌てて駆け寄り、傘を差し掛ける。彼女の虚ろな目と視線が合い、その瞬間に意識が鮮明になった。
何故忘れていたのか。

彼女は先日、夫と子を失ったばかりではないか。


「みんな、いなくなっちゃった。どうして、置いていかれたの。一人は嫌いだっていったのに。いじわるだ」

薄く笑みを浮かべて、彼女は誰にでもなく呟く。
視線は合っているはずなのに、彼女は自分を見てはいなかった。
彼女の手を握る。指先の、その氷のような冷たさが悲しかった。

「あぁ、来てくれたんだ。久しぶり」

手に触れた事で、気づいたらしい。
虚ろな目が焦点を結んで、自分を見つめる。触れていない方の彼女の手に頬をなぞられ、肩が跳ねた。

「いなくなっちゃったの、みんな。一人は嫌いだって、あれだけ言ったのに。酷いよね」

酷い、と言いながらも彼女は笑みを深くする。頬をなぞる指がそのまま首筋を辿り、その度に冷たさに跳ねる肩を見てくすくすと笑う。

「ねぇ、これからは一緒にいてよ。もう置いていかないで」

首元に腕が回り、抱きつかれる。
握っていたはずの手は、いつの間にか指を絡められ、まるで逃がさないとでも言っているかのようだった。
目を閉じる。
手にしていた傘を放って、彼女の背に手を回した。

「うん。これからはまた一緒にいるよ。約束する」

何故だろうか。
その約束だけは、破ってはいけないと強く感じていた。





「ねえ、そろそろ起きなよ。いつまで寝てるの」

揺り起こされて、微睡んでいた意識が浮上する。
机に伏せていた体を起こし、辺りを見回した。
夕暮れに染まる教室。自分と彼女以外は誰もいない。

「やっと起きた。もうとっくに下校時間過ぎてるんだけど」

頬を膨らませて怒る彼女を見上げる。
彼女はいつもと変わらない。変わらないはずなのに。
何故か、その幼い仕草に違和感を覚えた。

「目を開けたまま寝ないでよ。さっさと帰る準備して帰ろうよ」

ぽすん、と頭に軽い衝撃。彼女の手が頭を軽く叩いて、そのまま左右に揺らされる。
まだ寝ているのだろうか。随分と意識がはっきりとしない。
ここが夢なのか現実なのか。その境目が見えない。

「ねえ」

声をかける。
自分の声が遠い。そんな錯覚を覚えながら、動きを止めた彼女を見つめ。

「ここは現実?それともまだ夢の中?」

問いかけるその言葉に、彼女は声を上げて嗤い出した。


「ふふ、あはは。いいよ。夢でも現実でも、好きな方を選んで。どっちでも変わらない。そうでしょう?」

可笑しくて堪らないと、彼女は嗤う。

「どれがいい?どんなわたしが好き?憎まれたい?縋られたい?好かれたい?どれでもいいよ。どれを選んでも結末は変わらない!」

嗤う彼女の影が揺れる。
いくつもの彼女を無理矢理一つにしたような歪さに、吐き気を覚えて思わず体が逃げを打つ。
だが頭に触れていたままの彼女の手がそれを阻み。
嗤う事を止め、表情すらも消した彼女の鋭い目に射竦められ、声にならない悲鳴が漏れた。

「逃げるのは許さない。二度とわたしを見捨てさせはしない」

何を言っているのだろう。
彼女の言っている事が分からない。記憶にはない。
それとも思い出せないだけなのか。
それを問いたくても、混乱する思考では言葉一つ絞り出せず。
涙に滲む視界の中、ただ彼女の目を見つめ返す事しか出来はしなかった。

「一人になるのは嫌い。嘘つきはもっと嫌いなの。でも大好きなあなたのために、繰り返してあげるわ。今度は嘘つきにならないように」

頭に触れていた手が下り、瞼を辿って頬をなぞる。
いつかのような冷たい指に、さらに涙が零れ落ちた。

「わたし達は生まれた時から一緒だもの。最期まで一緒でないと駄目でしょう?」

窘める声は、ぞっとするような甘さを孕んで。

「そうだね。一緒にいるよ。これからもずっと」

目を閉じる。
この永遠に続く夢の終わりを待ちながら、彼女の抱擁をただ受け容れた。



20241205 『夢と現実』

12/5/2024, 10:18:13 PM