池上さゆり

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 自分が一番幼いときの最初の記憶が、その後の人生において指針になるという。

 私にとってそれは、泣き叫びながら何かの紙を破く母の姿だった。怒っていたのたか、父がその横で必死に慰めていたのを覚えている。なにを言っていたのかまではわからないが、それとなく母と距離を置くようになった理由かもしれない。

 母は大切なことを私が大人になっても、教えてくれなかった。そのせいで、学生時代は多くの苦労をした。先生からは忘れ物が多いと怒られて。周囲からは空気が読めないと言われて。自分では時間管理ができないことに困った。それは社会人になってからも続いた。事務職として雇われた会社で、淡々とした作業はこなせるものの、途中で話しかけられたり、新しい仕事を渡されたりすると、さっきまでなにをやっていたのかわからなくなる。何度も上司に怒られてついに社長に呼び出された。クビになるんだと覚悟をしていたが、社長は真剣な面持ちで発達障害の検査を受けてみないかと勧めた。自分は健常者だと信じたかった反面、周囲の人と同じことができない原因があるのならそれを知りたいと思った。
 幼い頃からのかかりつけの病院に行ってみると、見覚えのある医者がいた。久しぶりだねと声を掛けてくれて嬉しかった。そのまま社長からの話を伝えた。すると、医者は訝しげな表情をしてカルテを読み返した。
「君にはADHDの診断がとっくの昔に出ているよ。お母さんから聞いたことない?」
 その言葉に目を見開いた。長らく帰っていなかった実家に寄って母にその話をした。すると、母はひどく怒って水の入ったコップを投げつけた。
「あんなの嘘に決まってるでしょ! 私が生んだんだから障害者のわけがない。あなたは健常者よ。二度とその話をしないで」
 この人とは話にならないと即座に思った。ここで思い出したのが、最初の記憶だ。あの時、母が破っていたのは診断書だったのではないだろうか。あの記憶は忘れられない、いつまでも。
 これから障害を自覚して生きていかなければならない。今まで感情のコントロールができなくて、爆発してしまうことが何度もあった。だけど、あの時の母のようになってしまって、現実から目を背けた人生を歩んではいけない。
 これからは、たくさんの人に助けてもらいながら生きていこう。そうすれば、きっともっと息がしやすくなる。

5/9/2023, 1:08:47 PM