人生の内の総待機時間は果たしてどのくらいなのだろう
交通機関を利用するときポツリと考えた
踏切や信号待ち
乗車待ち
待ち人と出会うまでの時間
続きが気になりながら流れてくるCM
それ以外にも、植物なり動物なり、何かしら『育てる』ということの大部分を占めるのは『待つ』ことだと思い至る。
植物であれば水や肥料を与えたあと成長を待つ
動物も食事や排泄の世話をしたあとは成長を待つ
こちらが手をかけあとはひたすら待つのみ
人間の育児では、特に気を長く持たなければやっていられない。
服のボタンをとめる、靴を履く、辿々しくも健気に頑張る姿を、手を出さずにひたすら見守るその時間は、永遠ではなくても中々忍耐がいる。
睡眠時間は一生の時間の三分の一というのは有名だ
では果たして大なり小なり費やした待ち時間は。
そしてその時間は有意義に過ごせているのだろうか
その有無は、結局のところ自分次第なのだろう
ぼんやり過ごすのか、イライラして過ごすのか。
又は、本を読んで知識を広げ、空の青さを堪能するのか。愛おしいつむじを見下ろし小さな手を応援するのか。
短気は損気
日常生活に必ず付いてくる待機時間は、成長過程に必要な貴重な時間なのだろう
『日常』
6/23/2024, 6:35:00 AM