R15相当になります
台風が過ぎ去って
その日の午後、近づく台風が木々を揺らしていた。空は厚い雲に覆われ、ベランダを吹く風が肌寒さを感じさせた。
「稲、倒れちゃうかな」
私は隣に並んだ悠人をそっと仰ぎ見て尋ねる。
「うん…倒れにくい品種だけど、今回は難しいかもしれないな」
ベランダから田んぼを見る悠人の横顔は険しい。
家庭菜園でさえ無縁の都会から農家に嫁いで2年目。
大型と言われる台風の接近に備えて悠人に教わりながら一緒に対策をした。田んぼに深く水を張り、水路を泥だらけになりながら掃除した。
田んぼの石拾いや苗から育てる稲作が想像を絶するほど大変だとわかったからこそ、刈り取りまでなんとか無事に育って欲しい。
「遥、大丈夫だから。倒れたら起こしに行く。大変だけど、でも、俺は親父と何回も経験してるから。今回よりもっと大型の台風が上陸したこともある。それでも、家の稲はダメにならなかった。だから今回も大丈夫」
悠人が私の頬を両手で挟み、額と額をコツンと合わせた。
大丈夫---楽感的にも思えるけれど、農家に産まれ農業高校を卒業して農業で生計を経ててきた悠人。
大好きな夫のことを私が信じなくて、誰が信じるのか。
「うん、わかった」
「よし」
悠人は額にキスを落として私の肩を抱き部屋へ誘う。
悠人が重い雨戸をガラガラと大きな音を立てて閉じると、部屋には暗さと静けさが訪れた。
悠人が私を見つめる視線が熱い。
求められるまま深くキスを交わしてゆっくりと瞳を開ける。
「夜に…」
「ん…」
熱い吐息で誘われて私は頷く。照れ臭さを隠すように、私たちは強めにギュッとハグをした。
停電に備え、早めに夕食と入浴を済ませた私たちは、手を繋ぎ雨戸を締めた寝室へ向かう。
互いの衣服に手を伸ばし取り去ると、薄暗い部屋に悠人の日焼けした肌が浮かび上がる。
しなやかな筋肉と均整の取れた身体に見惚れると、それすら見透かしたように耳元で悠人が甘く笑った。
雨戸越しに、遠く台風の唸りが聴こえる。耳元では悠人の甘い吐息と、愛の囁き。
悠人と同じだけ愛を捧ぎたくて、私は大胆になる。
硬く大きな背中に手を這わせ、悠人は私の腰を抱いて深く繋がり、溺れるように愛し合う。
「好き」「愛してる」
伝え合い、甘え合える幸せがある。
風の唸りが一瞬止んだ時、悠人は私の首筋に唇を這わせていた。雨戸が外界を閉ざし、暗闇の静寂が私たちを近づけて2人だけの吐息や鼓動を甘く濃くしていく。
互いの温もりも吐息も何もかもが溶け合って、幸福に満たされ、悠人に抱きしめられていつの間にか眠っていた。
「おはよ」
悠人の弾んだ声で目が覚めた。愛し合った翌朝、いつも悠人の声は無意識で明るいと思う。
「おはよ」
返事をしたら悠人が私を抱きしめている腕を解いてベッドから降りた。
雨戸を締め切った部屋の薄暗さは、夜の濃厚な名残のよう。遠ざかる半裸の悠人の背中は変わらず筋肉質でカッコいいし。
ベッドの端に腰掛けた悠人の手にはミネラルウォーターのペットボトルが握られていた。
「水飲む?声が掠れてるよ」
「飲む」
カチッと音を立ててペットボトルの蓋が開けられる。受け取ろうとした矢先、悠人が水を口に含み、私へと顔を近づける。
「やだ、自分で飲めるって」
ドギマギしながら半裸の胸を押し返す。弾力のあるしっとりとした感触は昨夜の愛を思い出す。
見つめた瞳は熱っぽく、今この瞬間もそれを思い起こさせるような熱情がある、と思う。
見つめあって、視線を外して、ペットボトルへと手を伸ばす。
「ダメかー」
明るく笑って伸びをした悠人はクローゼットからTシャツと短パンを取り出して身につけ、雨戸に手をかけた。
途端に朝陽が部屋に差し込んで昨夜の優しかった指、愛をくれた唇と瞳、逞しい腕と順々に光が照らしていき、胸が再び熱くなる。
悠人がベランダに出て外の景色を眺めている。レースのカーテン越しに逆三角形の広い背中のシルエットが逆光に浮かび上がっていた。それを眺めながら私はそっと息を吐いて熱を逃す。
Tシャツと短パンを身につけ、悠人に呼ばれるままベランダに出た。
悠人の言う通り、数時間前まで荒天だったとは思えないほど快晴だった。
空は突き抜けるように青は深く、浄化されたように澄んだ空気に満たされていた。
遠く連なる山脈の稜線が浮かび上がっている。
私たちが育てた稲は青々した緑から金色に変わり始めたばかりだけど、危惧した通り倒れてはいたが、それは一部だった。
「大丈夫。倒れたら起こしに行く」
昨日の悠人の頼り甲斐のある声が蘇る。
悠人はきっと、何があっても「大丈夫」、そう言って私を安心させてくれる気がする。
「今日は忙しくなるな」
悠人はベランダに手をかけて田んぼを見ていた。
「うん。悠人が言った通りだったね」
「ん?」
「あんまり稲が倒れずにすんで良かった」
「そうだな。でも、俺1人じゃ大変だから、手伝ってくれる?」
「もちろん」
返事をすると、悠人が私の頭に触れて髪をくしゃっとかき混ぜた。
「その前に一仕事だな」
庭を覗き込む悠人の視線を追うと、広い庭一面ににどこから飛んできたのか、落ち葉や小枝がたくさん散らばっていた。
「遥。俺、庭の掃除終わらせてくる。その間、寝ておいて。稲を起こす体力、回復させといて」
昨夜の体温を思い起こさせるように、ベランダに置いた私の手に重ねて触れる手が意図を持つ。悠人、私をドキドキさせて、私を二度寝させる気が本当にあるの、って聞きたくなるよ。
素早くキスを仕掛けてから、悠人は足早に階段を降りて庭にある倉庫から竹ぼうきを取り出していた。
半袖の腕がリズミカルに動き、シャッシャッとリズミカルな音と共に落ち葉や小枝が集まっていく。
ベランダから眺める悠人は朝陽に照らされ黒髪に光の輪がキラキラと輝いていた。
かっこいいな。
飽きることなく見つめていると、悠人が振り返って私に気づく。
ちょっとだけ驚いた顔をした後、満面の笑みで私に手を振ってくれる。
ひらひらと振り返し、「やっぱり私も掃除する!」と階段を駆け降りた。
「眠れなかった?」
「うん、一緒にやりたくなったから。悠人さん、農家の嫁の体力を舐めてもらっちゃ困りますよ?」
戯けて顔を覗き込むと、悠人は嬉しそうに笑った。
「越してきたばかりの時は、ヘロヘロになってたのにな!じゃ、遥さん、ちゃっちゃと片付けますか」
「はい!」
快晴の空の下、私たちはお喋りして笑い合う。2つの竹ぼうきが足元から音を奏で、芝の緑が広がっていく。
雨水が砂利を掘り、轍を深くして道路に庭の土砂が流れていた。
「結構降ったんだな」
「ね、悠人さん、ちゃっちゃと片付けよ」
「だな!」
「悠人の竹ぼうき、短くなってるね」
私が嫁いでから購入した竹ぼうきはまだ購入した時とさほど変わっていないけれど、悠人の箒は竹が折れたり抜けたりして随分と短くなっていた。
「新しいの、買わなきゃなあ。遥に掃き掃除が下手って言われたくないし」
「道具のせいだもん、言わないよ」
綺麗になっていく庭。
澄み渡った青空。
緑の匂いを運ぶ吹き抜ける風。
台風で浄化されたような、朝が始まる。
台風が過ぎ去って
9/13/2025, 4:07:58 AM