千歳緑

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ずっと隣で

「連弾、だったんだよ」
「はい?」
「最期の曲」

 じい様の葬式で、兄が言った。
 じい様は高祖父に当たる人だ。102歳だった。
 子どもの頃に破産して手放した大きな屋敷を、一代で築いた会社経営で取り戻した後、80歳を過ぎてからピアノを習った。
 まだ屋敷に住んでいた頃、習う前に手放してしまったらしい。
 屋敷の奥の一部屋にどんとデカいピアノと陣取って、楽譜を睨みながら『猫踏んじゃった』を練習していたのを覚えている。
 認知症が現れたのは、僕が家を出て半年後だった。

「ウチに弾ける人、他にいたっけ?」
「いねぇなー。あのピアノもすぐ売り払うとよ」
「見つかった時間は?」
「深夜2時半」
「…聞き違い?」
「かも。自信はない。一応動画サイトで確認したけど、最期まで下手っぴだったし、何て曲もわからん」

 けどな、と兄は言った。

「腕が4本ないと無理だろ、とは思う」

 僕は黙った。
 じい様の症状は昼夜問わずのピアノ演奏だった。屋敷が広いので近所迷惑にだけはならなかったが、兄含む家族は夜中にランダムで起こされて大変だったらしい。
 徘徊されるよりはマシ、と開き直ってからはじい様の下手な演奏が終わるまで見守るようにしていたが、ここ数年はそれも疲れて、音が止むまで放置していたらしい。
 介護に一切参加しなかった僕には責められないけども。

「一人じゃ…なかった?」
「……だといいなぁ」

 兄は両手で、顔を抑えた。

「幽霊でも妖怪でもいいからさ。じい様の隣で、連弾してくれるような、友達、いたんならいいなぁ…」

 都合の良い話かな、とつぶやく兄の背に、僕はそっと触れることしか出来なかった。
 

3/13/2026, 1:55:04 PM