sairo

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前触れもなく現れた男は、腕にかつて己が求められ作った人形を抱えていた。
少年の人形。数年前に、とある少女が依代として買い求めたものだった。
己の作る人形は、依代として求められる事も多い。命ある人形を求めて作り上げているのだ。人と寸分変わりない人形は、とても扱いやすいのだろう。


「これの使用者を探している」

男はそう言って、買い手の居所を求めた。
確かに作り手である己は、人形を通して様々なものを視る事が出来る。痕跡から、使用者の位置を特定する事すら出来るが、この人形からは何もみえない。
その原因を探り、人形に触れる。随分と丁寧に扱われていたようで、目立つ傷は見られない。良き相手に貰われたと密かに喜んでいれば、探る指先が人形の左薬指に嵌まる、銀製の指輪に触れた。
見慣れぬ指輪。僅かに術の痕跡を認め、目を凝らす。

「その指輪は、人形と共にここで作られたのか」
「いいえ。違います。異国のもののようですので、この子を依代としていた方に近しい者が与えたのではないでしょうか」

詳しくは見えてこないが、どうやら守護の術のようだ。
人形を守っているようで、その実、依代の本体を守っている。
おそらくは、この目の前にいる男から。

「この子を依代としていた者の現在の位置の特定は困難です。残念ですが、お引き取りを」
「ならば、これの中に使用者を入れる事は可能か」

何を言っているのだろう。この男は。
僅かに眉を寄せながら、男を見る。
感情の浮かばない眼や表情からは、男が何を考えているかは分からない。見えない意図に困惑しながらも、静かに首を振り、男の問いを否定した。

「痕跡が見受けられませんので、それも出来ません」
「そうか。邪魔をした」

そう言って、男は人形を抱き上げる。
そうして去って行く男の背に、思わず疑問を投げつけた。

「何故、その子の買い手を求める?」

男は立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
相変わらず感情の読めない眼をして、静かに口を開いた。

「兄とは、妹を守るべきだからだ」

当然だと言わんばかりの、迷いのない声音だった。
目を瞬く。少し遅れてその意味を理解し、その不快さに内心で舌打ちする。
思い浮かぶのは、買い求めた時の少女の様子だ。
小さな背。痩せて骨と皮ばかりの体。色素を失った髪は白く、肩辺りでざんばらに切られている。
まともに栄養が取れていないのだろう。何も知らずに守ると言う男の傲慢さに、怒りを通り越し呆れすら浮かぶ。
あぁ、と納得した。
決して安くはない、しかも自身の性別とは真逆の少年の人形を、依代として買い求めた理由。指輪が守るもの。
少女は、男の歪な執着から逃げているのだ。

「あんたの言う、妹を守るとはどういう意味だ?」

問いかける。守ろうとして逃げられるなど、滑稽でしかない。
しかし、男はその問いの意味を理解しきれないのか、暫し沈黙し人形に視線を落とした。
その眼に初めて、微かではあるが感情が浮かぶ。困惑と不安だろうか。まるで迷子になった幼い子供のような色に、おや、と疑問が込み上げる。

「何故、守ろうと思った?その切っ掛けは何だ?」

重ねて問えば、男の視線は人形からこちらへと移る。その眼には困惑はなくなったが、僅かに残る不安はそのままだ。

「……ある兄妹に出会った。その兄が言っていた。兄とは妹を守るものなのだと。一族にとっての利用価値の有無ではなく、妹という人としての存在を慈しみ、守っていた」
「それで、羨ましくなったという訳か」

嘆息し呟けば、男は目を瞬き首を傾げる。
随分と幼い仕草だ。切っ掛けの事といい、この男の精神は物事を覚え始めの子供のように思える。
事実、そうなのかもしれない。妹を利用価値として見ていたのであれば、当然男も利用価値の有無を問われているはずだ。能力の優劣は当然として、そこに一族の従順さが求められたとしたら。そして成長の過程で、いくつもの出会いを通して自身の意思が育まれていたとしたら。
はぁ、と耐えきれず溜息が零れ落ちる。
まったく、術師というのはどんな一族であっても厄介だ。

「――一つ教えておいてやる。その指輪がある限り、買い手の痕跡は隠されたままだろう。詳細までは見えないが、守護の指輪だ――そしてそれは、指輪を嵌めた者にしか外す事は出来ない代物だ」

男は何も言わない。
ただ静かに、続く言葉を待っている。

「指輪の効力を失わせたいのなら、指ごと切り落とせばいい。だが確実ではないだろうし、依代の傷は術師へと反映される。つまり、だ」

男の目を見据え、告げる。

「どうしても、妹を守るために手元に置いておきたいのなら、守るべき者の身を損ねる覚悟をするんだな。守ると言いながらも傷をつけるその矛盾を、あんたがどう捉えるかは知らないが」
「どうしても……?」

ぽつり、と小さな呟き。
人形へと視線を向け、指に嵌まる鈍い銀色の煌めきに、男は表情を崩していく。
それは帰り道を失って、途方に暮れる子供のそれによく似ていた。

「約束は……いや、それも結局は……あぁ、だがそれでも」

哀しく、泣きそうな笑みを浮かべ。
男はこちらに一礼すると、静かに工房を出て行った。


「Poor man, don't you think?可哀想な人ね。ようやく持てた意思を、こんな形で否定されるなんて」

いつの間に来ていたのか。
部屋の片隅の机で優雅にティータイムを楽しむ彼女を一瞥し、疲れたように深く息を吐く。
レイスと呼ばれる、生霊に近い存在の、異国から訪れた術師。
己の作った人形を新たな器として得たというのに、今もこうしてこの工房に留まっているのは何故なのか。

「いつの間に戻ってきたんだか……運命の人とやらはどうしたんだ?」

半眼で見つめ、そう問いかければ、途端に彼女の頬は赤く染まり、恥ずかしげに俯いた。
どうやら、今日も声をかけられなかったようだ。

「いい加減、ここを宿にするのは止めてくれ。どうしてもというから、仕方なく貸しているんだと忘れるな」
「I can't help it, you know.だって、仕方ないじゃない。どうしても声をかける勇気が出ないんですもの」

スカートを握り締め、彼女はだって、だってと言い訳を重ねる。
ここ最近の見慣れた光景に、これ以上は何を言っても無駄だと諦め、工房の片付けに取りかかる事にした。
道具をしまいながら、ふと先ほどの男の行く先を思う。
あの様子では、傷をつけてまで妹を手元に置く事はないだろう。だが人形を手放す事も、あのままの状態では出来ない。意思を持ち始めたばかりの子供が、縋るものを手放して一人で生きていけるはずはない。

「You should probably just let him go.忘れてしまいなさい。どうしても手放さなければいけない時がこない限り、彼はずっとあのままよ」
「どうしても、か」

彼女の言葉に苦笑する。
もしもそのどうしてもが来たとしたら、あの男は一体どんな選択をするのだろうか。
それまでには、子供から大人になれているのだろうか。

「考えても仕方がないな」

緩く頭を振り、止まっていた手を動かす。
どんな事情があれど、すべては男の問題だ。外部が口を出す事でも、況してや面白おかしく詮索するべきでもない。
忘れようと意識を切り替え。
だが、ひとつ気になる事があり、彼女へと視線を向けた。

「あの指輪について、あんたはどう思う?」

問われて、彼女は眼を瞬き。ついと、視線を宙に彷徨わせながら僅かに顔を顰めた。

「That was more of an obsession than a protection.あれこそ、どうしても手放したくないという象徴ね。守るよりも、誰にも渡したくない。まるで蛇のような執念深さを感じるわ。守るために作られたはずのものなのに、作り手の強い想いに染められて。結果、執着の呪物と言えるものが出来上がっているのだから、皮肉なものね」

可哀想に、と呟く彼女に、確かにな、と同意する。
誰が、ではなく、誰もが救いようがない。
頭を振る。嫌な事は忘れてしまうべきだ。
そう自身に言い聞かせ、普段よりも丁寧に工房内を片付け始めた。



20250519 『どうしても…』

5/19/2025, 10:45:17 PM