ほろ

Open App

「うさぎって大変だよな」
珍しく化学部部室にやってきた幽霊部員くんが、部室の本の山に埋もれながら言った。
はて、本の山に動物図鑑などあっただろうかと覗き込めば、彼が読んでいたのは月の本だった。うちは化学部だというのに、一つ前の顧問が科学部と勘違いして置いていった本だ。そういえば、処分に困って山の中に混ぜていた気がする。

いやしかし、それで何故うさぎの話になるのだろう。逡巡し、思い至ったのは月のクレーターだった。
「まさかキミ、月にうさぎがいると思っているタイプか?」
思わず口にすれば、彼は不思議そうな顔で首を傾げた。
「いるだろ、うさぎ。満月の時見えるだろ」
「小学校の理科から学び直した方がいいぞ」
「なんでだよ……俺はうさぎが大変だって話をしてんだぞ」
自分の意見を曲げる気はないらしい。無知もここまでくると可愛ささえ感じる。
「分かった。一旦うさぎがいると仮定しよう。それで、何が大変なんだ?」
「月って満月になる前に欠けてる日とかあるだろ。三日月とか、半月とか」
三日月や半月を知っているのに、何故クレーターを知らないのだ。というツッコミは、私が心の中で十回唱えたのでしないでほしい。
「その時って、うさぎは月を追い出されてるわけだろ? で、満月になったら戻って……大変だろ?」
この言葉がトドメだった。私は頭を抱えて唸った。
「…………私は今、キミにどうクレーターや月の満ち欠けの原理を伝えるべきか悩んでいるんだが」
「は? なんて? 化学オタクの言葉、難しすぎて分かんねー」
「化学(ばけがく)ではなく科学の領域だし、これは義務教育の範疇の知識で……ああ、もう分かった。こうしよう。今日の夜、三丁目の公園に集合だ」
「なに、月でも見んの?」
「ああ。本来ならばうちの部の活動内容には入らないのだが、特別だ。キミに月について徹底的に叩き込んでやる」
今度は反対方向に首を傾げる幽霊部員くん。
徹夜にならなければいいが、と窓の外を見る。暗くなってきた空に、三日月がぽつりと浮かんでいた。

1/9/2024, 2:56:48 PM