頭痛が、ひどかった。
ドクドクとこめかみが鳴っていた。機械でエンハンスした聴覚を持つ者が、過度に酔っ払った時の典型的な症状。知らない天井を睨むようにして耐え、波が去るのを待つ。
苦労して体を起こすと、どうやらベッドの上らしかった。シーツ一枚を巻きつけた自分の肢体が、奇妙にブレて視界に映る。
不意に込み上げたものを吐きそうになって、それを感知した脳内CPUがあわててブレーキをかける。……飲み過ぎたのね。いつものことだけど。
酔い覚ましを探して首を動かし、私は固まった。隣に、知らない人物が眠りこけていたからだ。
別に、飲んだ勢いで誰かと、なんてのは今や珍しいことじゃない。誰だって見た目を自由にカスタマイズできるようになって、ホルモンバランスも指先ひとつ。そんな世界じゃ、楽しまない人の方が少ないからだ。
私が固まった理由は、隣で眠りこけているのが、枯れ枝のような老紳士であったからだ。顔カスタマイズなし、手足もオプションパーツなし、心肺機能に至っては弱り気味とのスキャン結果。
なんで……? なんでよりによってこんなおじいちゃん? 酔っ払いすぎて何も覚えてない。頭の中でモーターの駆動音が聞こえるほどのフル回転。それでも記憶データは出てこない。
二日酔いとのダブルパンチでベッドから転がり落ちそうになってきた頃に、ようやく目の前の老人が目を擦り、起き上がった。
「……おや、お嬢さん。早起きなことだ」
「ど……どうも?」
開口一番の渋い声に、気の利いた返しができず。私は変な笑顔で、そんな挨拶をしてしまっていた。
▽
「やはり、朝はコーヒーに限りますな。パンは食べていただけますか、ワシは朝食は取らないので……」
「あ、え、えぇまぁ」
ステッキをかたわらに、老紳士は落ち着き払った様子でカップを傾けている。わい雑なカフェの一角でも、彼がいれば一枚の絵画のようだ。
それを見ながら、私はおそるおそる口を開いた。
「えっと……その。なにもなかったって、本当なの? その、本当に?」
「ええ、何も。酔っ払った貴女がワシに絡んだまま寝てしまって、ワシがモーテルのベッドに運んだ。それだけです」
「……」
あらゆるスキャン結果が、“真実である”ということを伝えてくる。しばらく妙な沈黙が続いていたが、老紳士が突如顔を近づけてきた。
「失礼ですが……それは義眼ですか?」
「え? あぁ、義眼っていうか、センサー。面白いでしょ、カシャカシャって」
「えぇ。先ほどから、頻繁に瞳が小さくなったり大きくなったりするものですから」
「私からしたら、ナチュラルな目の方がのんびりしすぎてて違和感があるけど」
ひさびさに見たナマの目は、色彩に乏しくて刺激に欠けるものだった。まるでこの老人そのもののようだ……なんてのは言い過ぎかしら。
でもこの人、受け答えからナチュラリスト特有の機械嫌悪も感じられない。いったいなんで、身体改造ひとつしてないのかしら。
「ふは。言われましたよ、孫にも。虫眼鏡など使わずとも新聞が読めるようになると」
「ええ、そうね。たまにエンジニアに見てもらえば、それで手入れ終了。便利よ?」
「どのように見えるのです? その、つまり、改造する前と比べて?」
「……オプションによるかしら。詰め込みすぎたら、表示が鬱陶しくなるけど」
ずいぶん食いついてくる。話せば話すだけ、老紳士は真剣な表情になっていった。その顔といったら、先生と目が合った真面目な生徒のようだ。
若干引き気味なこちらの態度を悟られたらしい。老人は顔を赤くして、咳払いした。不覚にもその仕草に可愛らしさを見出してしまう。
「失礼、その。ワシも手術を受けようかと思っておりまして……お恥ずかしい話ですが、怖気付いておるのです」
「あぁ」
珍しい話ではない。むしろ、恐怖しない人間の方が少ない。本来なら不要な手術をわざわざ受けて、健康な部位を取り替えるなんて。
「なんでその歳になって手術を? 体への負担だって大きいでしょ?」
「……実を言うと、数日前から家内と文通をしているのですが。文字が読めないことがたまにありまして」
「文通??」
「ええ、手紙を交換しておるのですな。いやなに、暇つぶしにと」
暇つぶしねぇ。それにしては不自然なほどに顔が赤くなっているし、あらゆるスキャン結果が“暇つぶしなんて大ウソ”って示しているけど。
「おアツいってことね」
「そ……それは置いておいて。あのクラブにいたのも、誰か詳しい人のお話を聞ければと」
「じゃ、大正解を引いたわね」
「……酔っ払って絡まれた時は、失敗したと思っておったものですが」
今度は私が赤くなる番だった。まったく、記憶領域が狭いくせにいらないことを覚えているおじいちゃんだこと。
「どうせなら、顔とかもパーツ入れ替えしちゃえばいいのに。若い頃に戻れるわよ?」
「それは、やめておきます。家内と共に老いるのも、楽しいものですから」
「……そう。じゃ、適当にオススメのエンジニアを教えたげる」
ノロケてくれちゃって。さっさと紙ナプキンにペンを走らせ、いくつか候補を挙げて手渡す。
大げさなほどに顔を綻ばせ、立ってまでお辞儀をしようとする老紳士を手で制する。
「これで貸し借りなし、ってことで。もう来ないほうがいいわよ、この辺はガラ悪いし」
「ありがとうございます。また、あらためてお礼を」
「いいって……」
シッシと手を振れば、おじいちゃんは上機嫌で去ってゆく。最後にカフェの出入り口で振り返り、一礼して出て行った。あとには、冷めてしまったパンと、空のコーヒーカップだけが残っていた。
「変なおじいさん」
つぶやいて、私も立ち上がった。これ以上ここに居たら、自分がどれほどつまらない人間か思い出しそうだったからだ。
そして少し離れ、ごみごみとしたカフェの席を見た。絵にするほどの価値も失って、ただの日常の一部に戻ってしまった場所を。
あれは確かに、変なおじいさんだった。
あんな人に、また会えるだろうか。
目標文字数 2300文字
実際の文字数 2507文字
主題「未来」
副題「恋愛」
お題が難しすぎる(難癖)
6/17/2024, 2:43:30 PM