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『スマイル』

それが、私がこの家に来た時に付けられた名前。
名付けの理由は、私の顔に浮かぶ表情が常に笑顔であるから。

私は、「嬉しい」という感情を与えられて作られた、家庭用AIロボットなのだ。
当時はまだ、人工知能に付与できる感情は1つだけだった。
だから私は、「嬉しい」以外の感情がわからない。
私が感じられる、理解できる、与えられた感情に沿って、製作者は私の顔を笑顔で形作ったのだ。

「スマイル。今日から君の名前はスマイルだよ。」
「私たちの大切なこの子を、ずっと守り続けてね。」

起動したばかりの私に掛けられた2人の言葉。
私の主となったのは、目覚めて最初に目にした、生まれたばかりの小さな赤子だった。


それからの私は、ずっと幸せでした。

「ねぇ、見てみて!スマイル。
 私、逆上がりができるようになったのよ!」

「わぁ…!すごい!お星さまが、あんなに流れてる…!スマイル、見てる?すごいね…!」

「今日はスマイルと私の誕生日だから、特大ケーキだよ!ほら、スマイル。あーんして?」

「このイヤリング?ふふ。ハンドメイド仲間のUちゃんがね、私に似合いそうだからって作ってくれたの!
どうかな?似合ってる?」

「スマイル!聞いて…!
 私、好きな人ができたの…!」

あなたは、沢山の「嬉しい」を私と共有してくれました。
「嬉しい」以外の感情はわかりませんでしたが、それ以外の感情は別の方と共有されていたのでしょう。
あなたが私に共有してくれる感情はいつも「嬉しい」だったので、私の心には「嬉しい」ばかりが降り積もっていきました。
製作者によって浮かべられた私の笑顔は、あなたによって、私の心からのものとなっていったのです。


…あなたと出会ってから、24年と1ヶ月ほど経った頃のこと。

「スマイル。私、結婚することになったの。
 結婚式するから…
 スマイルも、参列してくれたら嬉しいな。」

暖かい陽光と、親しい人たちからのフラワーシャワーを浴びながら、愛する相手と寄り添って階段を降りてくるあなたは、満面の笑みで。
今までに見たこともないくらい幸せそうな顔なのに、その目には涙を滲ませていました。

とても嬉しいと、涙が出る。
データにはありましたが、私にはその機能は備わっていませんでした。
あなたと同じように涙を流すことはできないけれど、私もあなたと同じくらい、
「嬉しい」気持ちを込めた笑顔で。
周りの皆さんに負けないくらい、精一杯の祝福の気持ちを込めて、小さな花吹雪をあなたに浴びせました。


それからも、あなたは私を側に置いてくれました。

その頃には、AI技術は更に進歩して、人工知能に付与できる感情も、1つだけではなくなっていました。
あなたの人生のパートナーとなったD様は、私の機能拡張を提案されました。
しかしあなたは、

「私、スマイルの笑顔が大好きなの。
 スマイルがいつも笑って私を見守ってくれていると、安心する。
 スマイルには、ずっと笑っていて欲しいから…。」

そうおっしゃって、私を私のままで側に置かれました。

私は、嬉しかった。

私を機能拡張するには相当な金額が掛かるのに、何の躊躇いもなく、当然のようにそれを提案してくださったD様のお気持ちが。

私は、嬉しかった。

出会ってからこれまでと、何の変わりも無いそのままの私を、今までも、これからも、ずっと必要としてくださるあなたのお気持ちが…。

私は、お2人から肯定され、愛されているのだとわかりました。あなたが私にくださる気持ちは、この世界は、「嬉しい」ことばかりで…。
私は、なんて幸せなロボットなのだろう。
そう思いました。


それから、数十年の時が経ったある日。
あなたはベッドに横たわったまま、スリープ充電から目覚めたばかりの私を傍に呼び寄せました。
年齢を重ねて皺だらけになった手を伸ばし、出会った当初と何ら変わりない私の手を取ったあなたは、力無く微笑んで。

「スマイル。…どうやら私は、今日でこの世界とはお別れみたい。…あの人が先立ってからも、ずっと私のそばにいてくれて、ありがとう。
…子どもたちは、もう充分に大きくなっているし、あの子たちなら大丈夫だと思うけど。あの子たちが帰ってくるためのこの家を…。ティアを。よろしくね。」

ティアは、先日からこの家に住み着き始めた黒猫です。左目の下に涙のような白い模様があるから、英語で涙という意味の、ティア。
私は力強く頷き、笑顔であなたの声に応えました。

「…あなたを1人置いて行ってしまうことだけが、心残りだったけれど。ティアがこの家に来てくれて、本当に良かった…。2人とも、後のことは、よろしくね…。」

ありがとう、スマイル。

そう言って微笑んで、あなたは目を閉じて。
2度とその瞳が私を見ることはありませんでした。

何の意味もないけれど、私は、あなたと繋いでいた、力の抜けてしまった手を強く握りました。


私は、嬉しかった。

最期まであなたの傍にいられたことが。

私は、嬉しかった。

最後にあなたと言葉を交わせたことが。

私は、嬉しかった。

最後にあなたが私を見てくれたことが。


でも、
あなたがこの世界からいなくなってしまったことは。


嬉しくなかった。


笑顔のまま、涙を流すこともできない私に寄り添ったティアの鳴き声だけが、部屋に響いていた。

2/9/2023, 4:53:42 AM