共存と両立

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 スラムに生まれた私が幸せになろうと思ったら、
 そこにたどり着くまでに沢山の地獄を見ることになるだろう。

 私が生まれたこの場所こそが、天国だと言う人がいる限り。



 スラムの支配者は、知識や教養を持たない人々を道具のように扱い、私腹を肥やしている。なんて反吐の出る人間。けれど、みんなそんな人間を神のように崇めた。

 私の言葉は届かない。
 むしろ、悪者は私の方。

 知性を捨てた人々は、楽な人生を謳歌する畜生だ。

 私も馬鹿になれば良いのだろうか?

 いいえ、私が私であることを否定すれば、私はきっと壊れてしまう。目の前にいる畜生と同じ人生を歩むことになる。

 知性を捨てた彼等は幸せそう。
 私はなぜ、それを拒むのだろうか。
 私だって、知識も教養もない、馬鹿な人間。
 スラムで過ごす以外の生き方を知らない。

 知ろうと思っただけで、地獄を見る。
 きっと、ここは支配者の都合のいいように作られた世界。

 もし、これが地獄を乗り越えて夢を叶えた結果で作られた世界なら。それを打ち破るなら、それ以上の地獄を見なければいけないだろう。

 私にそこまでの力があるのだろうか?

 その力はどこから湧いて来るのだろうか?

 そもそも、なぜ私にここから逃げるという選択肢が生まれないのだろうか?

 この世界がおかしいことに気づいているのは私だけ。
 私以外の人はみんな敵。
 なら、私は一人でここから逃げ出して、一人で生きていけばいい。

 でも、一人で生きていくって、どうやって?
 どうやって雨風を凌ぐ? どうやって食べ物を調達する?
 それが出来たとして、何も持たない私は、ただ呼吸をして、腹を満たして、寝るだけの人生を歩むことになりはしないだろうか?

 それは、このスラムで生きていくこととどう違う?

 一人は嫌。

 けれど、私と一緒に生きてくれる人はいない。

 その事実は、私を打ちのめす。
 探せばいるかもしれない。
 けれど、スラムの中でどう探す?
 私に近づく人間を信用していい?
 どれだけ傷ついて、どれだけ裏切られたら、信じていい人を見分けられるようになる?

 それはゴールの見えない、途方もない道のり。

 信じたい人を見つけられたとして、私はその人を信じ続けられるだろうか。
 その人に裏切られたら、きっともう立ち直れない。

 そんな経験は今まで生きてきてひとつもないはずなのに、なぜだかそう確信できる。 妄想だと切り捨てられない。だって、可能性はない、とは言えないのだから。

 それでも私は、ここから抜け出したいと願う。

 絶望しか見えなくても、今いる地獄から抜け出したいのだ。




 
 

5/27/2024, 11:07:53 PM