薄墨

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どうしてこの世界は、こんなに歪な形をしているのだろう。
最近、そんなことを思うようになった。

真っ白なミルクパズルのピースを手に取って、眺める。
変な形だ。
四角っぽいのに、辺の途中がぐにゃぐにゃと凹んでいたり、ぴこぴこと飛び出したりしている。
角は丸みを帯びて、そんな丸い先の先端で、うっすらとコーティングされた層が、べらりとめくれて、剥がれかけている。

歪な形だ。
それでもきちんとはまる。
はめて揃えれば、ちゃんとした長方形の真っ白な板になる。

この世界と同じだ。
私の世界はこんなにも歪なのに、私自身はピッタリと上手に枠の中にはめられて、それで世界は平々凡々に回っていく。

生来の怠惰な怠け癖に病名がついてからというもの、私がサボる理由を周りが勝手に考えて勝手に納得するようになった。

この病気にはこんな傾向があるから、とか、こんな子の発達にはこういう傾向があるからもう少しかかるだろう、とか
私の単なる怠け者な部分は、全て“傾向”で片付けられ、一般化し、私の悪いところや問題なところはアンタッチャブルになった。

“特性”としてグレーである、と明文化され、親や家族や周りが上手くピースをはめてきたおかげで、私は白い長方形の現実にぴっちりはめられ、きちんと学校を出て、就職して、誰かの期待を裏切ることなく、生活をしている。

しかし、私には、これが本当に正当であると思い込むことができない。
私の周りの他のピースや、世間的には“理解のある”らしい親や、私を“分かっている”らしい友人とパートナーのようには。

私の怠け癖は、単なる私の怠け癖だと、私は思う。
私のこの加水分解されたスポンジみたいな愚かな頭は、私の努力不足や馬鹿みたいな行動で、なるべくしてなったものだって思うのだ。

したがって、こんなグレートの生活を、なんでも怠ける私がすべきではないと、思う。
もっとここにはぴっちりはまるピースがあるはずだ、と。

私は思っている。

しかし、現には、私は白いピースとピースの間にぴっちりはめられ、まるで正当に努力し、正当に生きている人間のように生きている。
こうなってくると、自分の世界のグレーのピースみたいな形より、そんな歪な形を吸収しているのに、見てくれはきっちり長方形で真っ白な、世間の形の方が、歪に見えてくる。

少なくとも、加水分解されたスポンジのような頭をしている私には。

どうしてこの世界は、こんなに歪なのだろう。
最近、そんなことを思うようになった。

6/9/2025, 10:36:26 PM