#💧 #🎴 #無気力系主人公
煌々と月が照る夜。丸い大きな岩の上に片膝を立て空を見上げる少女の姿があった。黒く長い髪は三つ編みで束ねられており、二又は風に煽られ龍の如く緩やかに舞う。少女の着る青い瑞雲柄の羽織は月の光を浴びて濃い青色から淡い水色へと変化していた。静かな夜であった。
少女はこの世に生を受けてから20年、自分という存在を容認したことはない。父や母、姉を殺し今も生きている自分は醜い。多くの人を巻き添えにして生きる自分は愚かだ。それでも自ら死を選べない臆病さに反吐が出る。少女は陽光が差す真昼間、団子を食べながらいつもそんなことを考えていた。
そもそも彼女はここに生まれ落ちる存在ではなかった。平成という時代に生き、平和な世の中で天寿を全うするはずであった。ところが会社に行く道中、彼女は車に轢かれそうな猫を庇って死んでしまった。齢42のことであった。
神か仏か、はたまた別の存在か。彼女を哀れんだか、罰を与えたのか、何も考えていないのか。ただの気まぐれ、偶然なのか。彼女は記憶を持ったまま人生をやり直す権利を与えられた。自身の世界ではない、よく知るこの世界で。
少女は一人思考する。この世界を生まれた意味を。成すべきことを、成してはならないことを。己の責務を、己の存在価値を。
「澄実(すみ)さん」
低く落ち着いた声が下から聞こえ、少女は振り向き目線を下げた。そこにいたのは薄暗い赤色の髪をもつ少年だった。隊服の上から羽織った市松模様から覗く手にはおにぎりが4つ並んだお盆。得意のおにぎりで月見でもするつもりだろうか。
「こんばんは。今夜は月が鮮明に見えますね。雲がないからでしょうか。…団子はありませんが、おにぎりを作ったのでお月見しませんか?」
疑問符が付いているがそんなのは建前だ。返答もしていないのに隣にまで来ているということは、そういうことである。この男、決めたことはやり遂げるのである。…よくないことも含めて。多少強引でも誰も何も言わないのは彼の実直さ故だろうか。少女は内心ため息をつきながら空を見上げた。
「澄実さんはやはりこちらにいらっしゃったんですね」
履物があるのに近くにいらっしゃらないようなので心配しました。目線を外しても尚、変わることなく注がれ続けることに黙っていれば彼は零すようにそう言った。
「裸足だと足を怪我してしまいます。こちらをお履きください」
ちらりと横を見やると彼が履物をこちらに差し出していた。匂いからも分かる通り、純粋に心配しているのだろう。裸足のまま岩の上で佇む少女を。誰にも何も言わずここに赴いた姉弟子を気がかりに思って。
つくづく優しい少年だな、と思う。誰も見捨てない、誰も突き放さない。誰でも受け入れ、共にあろうとする。少女にはそれがとても眩しくて、見ていられない。その光を真っ当に受けていい人間ではないのに。
『先生は匂いで分かっていた。キミが気にする必要はない』
夜な夜な抜け出し、ここに来るのも一度や二度の話ではない。先生は知っている。少女がここに来ていることも、それを咎められたくないであろうことも。だから何も言わない。必要なことは口にする先生だ、然る時が来ればお叱りが飛んでくることだろう。そのお叱りが来るまで、ここに来るのをやめない。先生はどこまでご存知なのだろう。
知る由もないのだが。
「…澄実さんは、義勇さんや錆兎、真菰の姉弟子でもあるのだそうですね」
彼はそれから喋り続けた。返答のない少女に向かって、屈託のない笑顔で、ずっと。少女はそれを気にも止めない。そうして長い長い夜が明けた。静かな夜だった。
*
翌日、少年は岩の上で目を覚ました。辺りを見回すが少女は既にいない。あるのは手元の瑞雲だけ。少女が寝ている自分を見かねて掛けてくれたのだろうか。少年はやはり無口で優しい姉弟子を放ってはおけないと思った。
【素足を拒み、裸足で歩く姉弟子】
続く
8/26/2025, 11:18:51 AM