sairo

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「一番目」

感情の乗らない声音で妹が呟く。

「お兄ちゃん、の方がいいんだけどなぁ」
「お兄ちゃん…?」

無表情のまま首を傾げる姿はとても幼げだ。
巻くのに手間取っていた葛《かずら》を代わりに巻く。無感情なありがとうの言葉に、思わず頭を撫でてしまった。
白い花弁が散る。けれど触れた部位の葛は解けていない事を確認し、安堵した。

「なぁ、にい」

二番目。
俺と同じく、産まれる事の出来なかった胎児《妹》。

「なに?お兄ちゃん」
「ここから出ないか?」

妹を形作る葛が伸びる先。大杉に巻きついた大元の蔓に触れながら尋ねる。
この葛は妹をこの地に繋ぎ止める楔だ。この葛がある限り、妹はここに在る事は出来るが、代わりにどこにも行く事が出来ない。

「姑獲鳥《うぶめ》が産んでくれるから。だから兄ちゃん達と一緒に行かないか?」
「…行かない」

静かな否定。
予想はしていた返答に苦笑する。

「そっか…ごめんなぁ、ワガママ言って」

葛から手を離し、妹の隣に座り込む。
小さなごめんなさいの言葉に、緩く頭を振って気にするなと告げる。
無理強いをするつもりは最初からなかった。

「にいが嫌ならそれでいいんだ。これは兄ちゃんの自己満足だから」
「自己満足?」
「そ。妹弟《きょうだい》が穏やかな日常を過ごして笑ってくれれば、って。ただの自己満足」

幸せでいてほしいから。
だけどそれは、俺が一方的に与えたいワケではない。妹弟の幸せのカタチは違うのだから。
妹がここにいる事を選択したのだ。その選択を尊重したかった。

本音で言えば、今すぐ葛を切って連れ出してしまいたい。
姑獲鳥に産んでもらう事で妖の子に成ってしまうが、それでも産まれてほしかった。自分の足で好きな場所に行き、いろいろなものを見て触れて。美味いものを食べて、悪夢を見る事なく穏やかに眠る。
笑って、泣いて、怒って。そんな些細な日常を過ごしてもらいたかった。

「じゃあ、兄ちゃんはそろそろ行くな」

そんな押し付けがましい思考に蓋をして、立ち上がる。

「また来てもいいか?」
「いいよ。また来て」

否定はされず、受け入れられた事に少しだけ気分が高揚する。
単純だと自嘲しながらも、振り返らずに歩き出す。
しかし、

「…ねえ、お兄ちゃん」
「どうした?」

静かな声音で呼ばれ、足を止めた。
振り返れば、珍しく言い淀んでいる妹の姿。言葉を探してゆっくりと口を開いた。

「夢に、聞いてみる…葛を巻いたのは夢だから」

息を呑む。

「だから、夢がいる時にまた来て」
「分かった。ちゃんと来るから」

約束して、踵を返す。

優しい妹だ。幸せにしたいと思って、逆に幸せをくれる。
もう一人の妹《銀花》も同じだ。一緒にいてくれて、同じように幸せを与えてくれる。


一番幸せになっているのは俺なのかもしれない。



20240623 『日常』

6/23/2024, 4:58:57 PM