引っ越しの為に物を整理していると、棚の奥から腕時計が出てきた。
今からずっと前、スマホどころか、携帯電話すら皆が持っている物ではなかった時代、外出先で時間を確認する手段と言えば腕時計だった。今出てきたこれは、父から貰った物で、俺はとても気に入って毎日着けていた。携帯電話を持つようになって、時間を確認できる手段が他にできても、外すのは寂しく感じて、しばらくは着け続けていた覚えがある。
「固まっちゃってどうしたの?」
腕時計を見つめて昔を懐かしんでいた俺に、同居人の彼女が声をかけてきた。
「ほら、これ。覚えてる?」
俺は、腕時計を彼女の方に差し出して見せた。
「あ!覚えてる覚えてる!あなたのお気に入りだったよね」
「そうそう。すごい懐かしくなっちゃってさ」
時計のベルトをスルリと撫でる。金属製のそれは、少しひんやりして硬質で、鈍く光を反射していた。
「そういえば、私との初デートのときもそれ着けてたんじゃない?」
「ああ、そうだった。俺、あの時ガチガチに緊張しててさ、待ち合わせ場所で何回も腕時計確認したり、無意味に触ったりしてたわ」
勇気を出して誘った彼女との初デート。待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いた俺は、この腕時計と共に緊張の時間を過ごしたのだ。
「あなた、緊張すると腕時計触る癖あったよね」
「あー、そうだったわ。何なら今でも緊張すると左手首触っちゃうから、癖なおってないな」
数回デートを重ねて彼女に告白した時、付き合って初めての彼女の誕生日にサプライズプレゼントをした時、一緒に住まないかと誘った時……様々な緊張の瞬間、この腕時計は俺とともにあった。
プロポーズした時には、もう腕時計はしていなかったけれど、左手首を触って腕時計の存在を思い出して緊張を和らげていた記憶がある。
「この腕時計、それだけあなたの中で大きな存在だったのね。心の相棒みたいな?」
彼女が言う。『心の相棒』……か。確かにそんな感じなのかもしれない。
ガラケーからスマホになり、いつの間にか使わなくなってしまっても、棚の奥に仕舞っていても、俺の中にこの腕時計の存在は確かにあったのだと、そう思った。
たくさんの想い出の詰まったその腕時計を、引っ越し先に持っていく箱の中へと、大切に仕舞う。
引っ越しで荷物を整理していると、捨てなきゃいけない物もあって、置いていかなきゃいけない想い出も中にはある。
でも、この腕時計と過ごした想い出は、大切に持っていこうと思った。
11/19/2024, 8:46:32 AM