sairo

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ポケットの中に入っていたそれに、少年は不思議そうに目を瞬いた。
少年の手の中に収まるそれは、緑色をした小さな石だった。濃い緑の中に、赤茶色の斑点模様が散っている。
ざらりとした表面を撫でながら、少年は首を傾げる。こんな特徴的な石を、少年は自分のポケットの中に入れた覚えがなかった。
石を撫でながら、少年は考える。果たしてこれは、持って帰ってもいいだろうか。覚えはないが、自分のポケットの中に入っていた石だ。ならば、これは自分の持ち物になるのだろう。
そんな幼い思考は、だがすぐに別の思考へと移り変わっていく。
先日喧嘩をした友人のこと。それきり一緒に遊ぶことはおろか、挨拶を交わすこともなかった。
このままではいけない。謝らなければと思いながらも、友人を見る度に決意は揺らぐ。時間が過ぎていくにつれ、気まずさだけが大きくなり、謝る勇気も声をかける勇気さえも出てこなくなった。
手の中の石を、握り締める。手の熱が移ったのか、石はほんのり温もりを宿している。
とくり、と石が脈動した気がした。驚いて手を開くも、石に変わった様子はない。
もう一度石を握り、目を閉じる。深呼吸を繰り返すと、友人に会いたい気持ちが強くなっていく。
謝ろう。自分が悪かったのだから。
意地も気まずさも消えて、残るのは後悔だけだ。
このまま離ればなれになるのは、きっと何よりも怖ろしい。
目を開ける。決意を宿した目をして、少年は力強く頷く。
石をポケットの中に入れ、駆け出した。
友人の元へ、仲直りをするために。



「こんなところにいたのか」

去っていく少年の背を見ながら、男はそっと呟いた。
握る手を解く。その手の中から、先ほど少年がポケットの中にいれていた緑の石が現れた。

「まったく……お節介過ぎるのはいつまで経っても変わらないな。少しは探す方の身になってくれ」

苦笑しながらも、男は優しく石を撫でる。微かな振動を感じて、切なげに目が細まる。
石は何も語らない。石に残るのは、僅かな想いだけだからだ。
誰かのためにという献身と、その誰かのために与える勇気。
その身が失われても尚、男の愛した少女の優しさは変わらず石に残り続けた。
少女はここにいる。ここに在る、それが何もできなかった男のささやかな救いだった。


「――そろそろ帰ろうか」

願うように囁いて、男は静かに歩き出す。
帰るといいながらも、その場所は疾うに失われた。少女を犠牲に太陽を呼び戻そうとした故郷は、太陽の熱に焼かれて消えた。
残ったのは男一人と、少女の思いが宿ったこの石だけ。

少女が残した石と共に、男は当てもなく歩き続ける。それだけが男にできることだった。


不意に一陣の風が吹き抜けた。
男の手の中の石が、強く脈動する。

「なんだ……?」

初めてのことに、男は眉を寄せ立ち止まる。
吹き抜けた先に見えた小さな人影に、目を見張り息を呑んだ。
あの頃と変わらない姿。優しい微笑みと慈愛の眼差し。
駆け寄る在りし日の少女を抱き留めながら、男は一筋の涙を溢した。

「――迎えに、来てくれたのか」

呟く男に、少女はくすくすと笑い声を上げる。

「気づかなかっただけよ。形のある、残りものだけを見てるんですもの。ずっと側にいたのに、全然気づいてくれないのだから」

だから時折、悪戯をしていたのだと少女は笑う。
迷う者の所へと石を運びながら、男が気づいてくれるのを待っていた。石ではなく、いつか自身を見てくれると期待していたのだと、少女は少しばかり拗ねてみせた。

「すまない。俺は、ずっと……」
「鈍感なのは変わらないのね……そういう所が、可愛らしいのだけれど」

悲嘆に暮れる間もなく、少女に言われた可愛いの言葉に男の頬が僅かに赤くなる。僅かに視線を逸らす男の顔を包んで、少女はその頬に唇を触れさせた。

「――っ!?」

益々赤みを増す男を笑い、少女は少しだけ体を離すと男の手を取り繋いだ。導くように手を引いて歩き出す。

「そろそろ行きましょう?」

手を引かれるままに、男は歩き出す。
どこに、とは問わない。死者が還る場所はひとつだけだからだ。
いつの間にか、少女の思いを宿した石が消えていることに気づく。振り向く男に少女は頬を膨らませ、繋いだ手を強く引く。

「私がいるのだから、あれはもう必要ないでしょう?阿野石はもう、自身の意思で必要な人の元へ行くわ。ささやかな勇気を与えに、ね」

石は残り続けるのだと、少女は告げる。
少女の献身を宿した、深い緑の中に血を思わせる赤を散りばめた異国の石。
彼女がいた証が残るのだと知って、男は穏やかに微笑みを浮かべた。
繋いだ手を引き、傾ぐ少女の肩を抱き寄せる。
頬を膨らませ睨むその額に、そっと口付けた。

「なっ!?ちょっと!」
「さっきのお返しだ」

そのまま肩を抱いて、男は歩き出す。
その表情は柔らかく、少女は何も言えずに頬を赤く染めて前を向いた。
互いに何も言わず、ただ寄り添いながら歩いていく。
二人の影はやがてひとつになって、暗がりの向こう側へと消えていった。





「あれ?なんだろ、これ」

ポケットに違和感を感じて、制服姿の少女は手を差し入れた。
中から取り出されたのは、深い緑色をした小さな石。

「いつのまに……」

赤い斑点模様を眺めながら、少女はぼやく。
入れた覚えのない石。けれども嫌な感じはしなかった。
そっと手のひらの中に握り込んでみる。手の熱が移ったのか、ほんのりと温かい。
その温もりに、不意にある人の姿が思い浮かぶ。
同じクラスの少年。静かに本を読む姿を、目で追い始めたのはいつからだっただろうか。
話せば穏やかに応えてくれる少年に、けれど告白する勇気はいつまでたっても起きなかった。
あと半年もすれば、自分達は学校を卒業する。卒業してしまえば、接点はなくなってしまうだろう。
それは嫌だ。そう強く思った。
今まで何度もそう思いながら、でもまだ時間はあると思っていた。けれども今日は何故か、それでは駄目だと強く感じている。

「――よしっ!」

手の中の石を見つめ、少女は強く頷いた。
石をポケットの中に戻し、来た道を駆け戻る。今ならまだ、少年は図書室で本を読んでいるはずだ。
足が軽い。早く会いたいと、さらに速度を上げる。

――何も言わないまま、さよならなんてしたくない。

誰かの声が聞こえた気がした。
後悔の滲むその声音。
その通り、と少女は高らかに同意し、晴れやかに笑った。



20250827 『ここにある』

8/29/2025, 4:13:10 AM