この間、ネットの書き込みで、【これが、ケセランパサランです、白粉ふりかけて大きくなってます】というのを見た。
諸説あるようだけれど、信じる事は幸せな事だと思う。
【信じる】ということ、それそのものが透明な羽根で、危うい。
自分の思い通りにならなかった時、【裏切られた】と思ったりするけど、信じたのは自分なのだから、【裏切られた】と騒ぐのは間違えている。
風が吹けば、右に左にふわふわするようなそんな軽い信じ方では、【幸せ】にはなれない。
信じているのは自分だ、という確固たる信念を持つことが出来れば、笑われても嘲られてもバカにされても見下されてもなめられても、その人は何も気にせず、【幸せ】に守られて他者の【幸せ】も守って生きていく。
信じるのは、信じたのは、自分だと責任を持つから、何一つ誰かのせいにしたり、親のせいにしたり、生まれのせいにしたりしない、世の中のせいにしたりなどしない。
透明な羽根なんか要らない。
生まれてきて、自我を掴んだ時点で、そこからは自分の責任なんだから、足の裏を大地に着けて生きていく。
11/8/2025, 10:58:17 AM