今日のテーマ
《昨日へのさよなら、明日との出会い》
「バイバイ」
「元気でね」
「向こうでも頑張って」
見送りに来てくれた友達が目を赤くしながら口々に言う。
わたしはその一つ一つに頷いて、お礼と別れの言葉を返す。
転勤が多い親を持つと、こんな別れは慣れっこだ。
みんなに合わせてしんみりした顔をしてみせるけど、心の中はそこまで悲しくはない。
ただ、せっかく仲良くなったのにな、と少しだけ残念な気持ちがあるだけ。
でもそんな寂しい気持ちも長くは続かない。
嘆いていても引越も転校もなくなるわけじゃないのだから。
引越先へは電車での移動となる。
荷物は引越業者のトラックで既に出発している。
家の前で彼女達と別れ、家族と一緒に駅に向かう。
「ネットで調べたら、近くに美味しいパン屋さんがあるみたいなんだよね」
「そうなの? 近くに安いスーパーがあるといいんだけど」
「今度のところは駅前にでかい本屋があるみたいだな」
「どうせまたすぐまた引っ越すんだからあんまり本は増やさないでね」
「お父さんも電子書籍にすればいいのに。最近老眼で小さい字が読みにくいって言ってたじゃん」
「いやいや、やっぱり本は紙ならではで……」
両親と姉は引越先の近所の店などについて、ああでもないこうでもないと盛り上がっている。
わたしはそれをぼんやり聞きながら後をついて歩いていく。
可愛い文房具を置いてる店があるといいなと思っていたら、後ろからバタバタと走ってくる足音が聞こえてきた。
避けた方がいいだろうかと思いながら振り返ると、足音の主は同級生――いや、元同級生の男子だった。
わたしが振り向いたのを確認して、ホッとしたような顔をする。
「お母さん、電車まだ大丈夫だよね?」
「何? ああ、お友達? まだちょっと余裕はあるけど……」
「先に行ってて。すぐ追いつくから」
何か言いたげににやにや笑う家族を追い出すように先に行くよう促す。
改めて向き直ると、彼はTシャツの袖で汗を拭いながらどこか気まずさを感じさせる笑みを浮かべた。
「見送りに来てくれたの?」
「うん……いや、見送りっていうか……」
1学期の間、ずっと隣の席だった。
マンガの話、動画の話、なんてことない雑談でよく笑い合った。
その彼が、今まで見たことないくらい真剣な顔をしてわたしを見てる。
急に胸がドキドキし始めて、そわそわ落ち着かなくなってくる。
これまでの転校の時にはこんなことはなかった。
見送ってくれるのは大抵仲の良い女子数人、それすらない時だってあった。
まるで少女マンガみたいな展開に、もしかしたらという期待が胸いっぱいに広がってくる。
いやいや、ないでしょ、さすがに。
何か借りてたのを忘れてて、それを言いに来たとか、きっとそんなとこだって。
でも何か貸し借りした記憶もないし、催促する機会は昨日までにいくらでもあったし。
期待しては打ち消し、打ち消しては期待が膨らむ。
そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。
体感的には何分も経ってる気がするけど、たぶん実際は数十秒。
彼は、意を決したように唾を飲み込むと、何かを差し出してきた。
お父さんの名刺が入るくらいの小さな封筒。ワンポイントの花の絵が可愛らしい。
しっかりした感触から分かるのは、中にカードか何かが入っているのだろうってことくらい。
お別れの手紙か、それとも――?
「俺のLINEのID書いてきたんだ。交換できる時間あるか分からなかったから」
「あ、少しなら時間あるから今交換する?」
「時間、平気?」
「そのくらいなら大丈夫。走ればすぐ追いつけるし」
先を行く家族の背はまだ見えている。
走るのは得意だし、足も遅くない。
スマホを取り出してLINEのアイコンをタップする。
二次元バーコードを表示させると、すかさず彼がそれを自分のスマホで読み取る。
『よろしく』
友だち登録をした彼から即座にメッセージが送られてきた。
ポコンという音と共にアニメのキャラクターのスタンプも。
男子はあまりこういうの使わないイメージだったけど、案外そうでもないのかもしれない。
文字を打つのも、スタンプを送るのも、思ってたよりめちゃくちゃ早いし。
「昨日の内に言ってくれれば良かったのに」
「他の奴らの前で言うとうるさそうだったから」
「あーわかる! みんなすぐそういう話に持っていきたがるもんね」
「おまえとは話も合うし、これで完全に切れちゃうのも何か……」
「そっか……そうだね、これでまたマンガの話とかできるね」
わざわざ走って追いかけてきてくれてLINEのID交換なんて言い出すから、これは本当にもしかするかも――なんて期待しちゃってたことなんか、恥ずかしくて絶対に気づかれたくない。
だからわたしは何でもないふりで笑って言った。
ちゃんと笑えてるかな? 笑えてるよね?
「えっと、じゃあそろそろ行くね」
「あとで、またLINEする」
「うん。じゃあね、バイバイ!」
「ああ、気をつけて」
笑顔で手を振って彼と別れ、走って家族の後を追う。
途中で封筒を受け取ったままだったことを思い出した。
ID交換したんだから、これはもう用無しかもしれない。
でも、せっかく書いてきてくれたのを返すのもなんだし、もしかしたら餞の一言くらい書いてあるかもしれないし、と思って、落とさないようポケットにしまう。
「どうだった? 告られた?」
「そんなんじゃなかったよ。LINE交換しただけ」
「なーんだ、そうなの。お姉ちゃんの方はそういう色気のある話はなかったの?」
「ないない、あるわけない」
興味津々に聞いてきたお姉ちゃんの言葉に首を振る。
お母さんは残念がりながらお姉ちゃんに矛を向け、お父さんはそれを聞きながら笑ってた。
わたしの方こそ「なーんだ」な気分だったけど、それは家族にも気づかれずに済んだようだった。
電車に乗って暫くして、家族の目を盗んでそっとさっきの封筒を開ける。
糊付けはされてなくて、予想通り、中には封筒と同じ柄のカードが入っていた。
言えなかったけど、ずっと好きでした
もし嫌じゃなかったら、友達としてでいいから、チャンスを下さい
筆圧高めの、少し角張った癖のある字。
記されていた言葉に、じわじわ頬が熱くなる。
もしかして、もしかした!
心臓がうるさいくらいにバクバクし始めて、今はとても冷静に返事のメッセージを送ることなどできそうにない。
『カード読みました。返事は夜まで待って』
震える指でそれだけ打って送信すると、すぐに既読がついた。
さっきとは違う絵柄の『待ってます』のスタンプが即座に送られてきて、その反応の早さに少しだけ笑ってしまった。
昨日まではただのクラスメートだった。
転校で切れるはずだったその縁は、今日、彼の勇気で繋がった。
そして明日からは、きっと違う名前の関係になる。
にやけそうになる頬を無理矢理引き締めて、わたしはそのカードを大事にバッグの内ポケットにしまったのだった。
5/23/2023, 8:30:49 AM