ちどり

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「私もついに、大人になるのね」

振り向き様に寂し気な表情を浮かべて笑む彼女は、
大人の姿をしていた。

――――――――――――――――

彼女は明日、この孤児院を卒業し
私の知らない男性と結婚する。

幼い頃から共に過ごしたここを出て、
私の知らない場所で今後を過ごすのだろう。

友人が見初められてから、私達の別れの日は決まっていた。
日毎、彼女は私をおいて大人になっていく。

昼間も大人の顔をした彼女が孤児院を出て、夕食後に帰ってきたのを知っている。

消灯後に彼女の部屋の戸を叩くと
扉は直ぐに開かれ、中に招き入れられた。

ベッド横にあるライトだけが頼りで、弱々しい灯りが部屋を照らしていた。
まだ化粧を施したままの彼女がデスクの椅子に座ると、デスクに置いていた贈り物らしき口紅をそっと引き出しにしまう。

「思ったより、いい人よ」

そう微笑む彼女に施された化粧は薄闇でもわかるほど
肌白く、鮮やかな紅が強調されたものだった。

彼女にはもっと淡い色の口紅が似合うのに。
そう思いながら、デスク横のベッドに腰掛けると彼女も私の隣に座り直した。

二人で黙って見つめ合う。
何分経ったか、見つめ合ううちに
彼女の口紅だけが薄暗い部屋に浮かんでいた。

この口紅さえ消えれば。
紅が憎くて、彼女の唇に指を這わす。

綺麗に縁取った口紅が、指を通った跡に残り
先程よりも紅の色が薄くなった。

彼女は目を伏せて私の指の動きに集中し、させるがままにしている。
唇から頬、首にかけて赤い筋ができた。

今度は彼女の方から両手を伸ばし、
私の頬を包むと自分の額に私の額を合わせた。

目線を上げると、直ぐ側に彼女の瞳が見える。
覚悟を決めた瞳が揺れる。
潤んだ瞳から、今すぐにでも雫が零れ落ちそうだ。

明日の朝になれば、この関係が人に知られることはない。
大人になれば、私達は永遠にこの手を取り合うことはできない。

それならば今夜だけはまだ、子供のままでいい。

「大人になれば私達は」
⊕子供のままで

5/12/2024, 12:18:15 PM