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午後3時、いつもの時間だ。
僕は作業の手を止め、隣にいる彼女に声をかけた。

「休憩にしようか」


本日彼女が用意してくれたのは、深蒸し茶だ。
丁寧に淹れたのだろう、水色が美しい。
湯呑みからお茶の馥郁たる香りが湯気とともに立ち上っている。
火傷しないように息を吹きかけ、そっと一口含めば、甘みと渋みのバランスの良い味わいが口の中に広がっていく──美味しいお茶だ。

美味しいお茶を淹れてくれた当の彼女は、いつものお饅頭に頬を緩めている。

美味しいお茶に美味しい甘味。
緊張感から解放された緩やかな空気。

研究所の無機質な空間が穏やかな空間に変わっていく──この束の間の時間が、僕は愛おしい。

胸に広がる温かさに浸っていると、彼女が話しかけてきた。

「博士、明後日からお休みですよね」

「うん、断られるかと思ったんだけど案外すんなり通っちゃったね」

「会社が有給申請を断ることは、余っ程の事情がない限り無いですからね」

新しい培養機の搬入に伴い彼女の有給を申請するついでに、自分の分も上げてみることにした。
当初の想定では、代理などの問題で本社から難色を示されると思っていたのだが──拍子抜けするくらい簡単に受理された。
まぁ、「ようやく取る気になりましたか」とお小言は付いてきたけれど…。今後は、有給消化もちゃんとしていこうと思うくらいには、お小言が長かったけれど…。
何はともあれ、有給が受理された僕は、何年かぶりの連休を取ることになったのだ。

「僕が休みの間は、僕の同期がここに来てくれることになっているから安心してね。彼は色々な研究所を兼任しているから、きっと勉強になることが沢山あるよ」

僕の言葉に彼女がピタリと止まった。

「博士の…同期…」

「ん?待って…。何で急にそんなニヤニヤしだしたの?な、なんか嫌な予感してきたんだけど、き、気の所為だよね?」

「大丈夫です、大丈夫です。気の所為ですよ。博士の同期の方に、博士の過去を聞いてみようだなんて、そんなこと思ってませんから」

「心の声漏れちゃってるよ!?僕のことより、技術的な事とか、スキルに繋がる知識とか、そういうことを聞いたほうが…」

「大丈夫です!それ“も“聞きますから!」

「それ“だけ“にしよう!?」

「大丈夫です!博士を支えるうえで役に立つ知識を学んでおきますので!博士はゆっくり休んでくださいね!」

そう言うと彼女は満面の笑みを浮かべた。

これは絶対、スキル以外も手に入れようとしている顔だ。

後でこっそり同期の彼に連絡をしなくては──。
あ、でも彼のことだからきっとあれこれ彼女に吹き込むかも──。

束の間の休息中に起こるであろう──想像に難くない出来事に、僕は頭を抱えるのだった。
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束の間の休息

10/8/2024, 1:09:23 PM