ゴルゴンゾーラ竹田

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ないものねだり

ある長男

 あの頃は、日本の西と東を行き来しては別邸を転々としていて、あまり落ち着いて勉強ができない頃だった。鬱憤が溜まっていて、気分転換に庭で散歩でもしようかと思って客間の前を横切った。
 父が客間で人と話している声が漏れていた。寡黙な父は、そのひと相手にはよく喋っていて、時折笑うような声すらも聞こえてきて、ひどく驚いた。客人との話に水を差す無礼はできないから、なるべくゆっくり歩みを進めていた。
 しかし突然扉が開いた。俺はなぜかとても驚いてしまい、叱られ始めの子供のような格好になってしまった。客人が何かを確認するように一瞬後ろを振り向いた。奥にいる人は、ただ一人しかいなくて。客人と扉の隙間を俺は覗き見て、そしてそれまでの鬱屈とした気分も、父らへの配慮も全て投げ捨てて、ただ一つ一礼をした。そして次の瞬間、木の軋む音を置き去りにして、足早にそこを立ち去った。もう庭に行く気にもなれなくて、その日はそのまま書庫にこもって一歩も出なかった。
 あの日、父が客間のどこに座っていたのか、どこを見ていたのかも覚えてはいない。それでもあの人が俺を見ていなかったという事実だけ脳裏に焼き付いている。あの人が俺のささやかな期待をいつものように裏切って、今日も俺の脳に焼きつくような感情を沸き立たせる。

「ないものねだりだったなぁ」

3/26/2026, 2:25:28 PM