ここのところ、過去に目を向けてばかりいたからだろうか。テーマに「前を見ろ」と言われてしまった。こりゃ失敬。
自分にとって過去を振り返ることは、嫌なことが思い出されるので苦手な行為だった。
楽しい思い出を覆うように、辛かったことや失敗したことばかりが広がって、苦しみばかりが胸を襲うから極力しないようにしていた。
誰にも打ち明けたことがないソレを、見抜いた人物がいる。
前職の直属の上司だ。
私が過去というものに対してネガティブな感情を持っていることを雑談の中から見抜くと、こう言った。
「思い出は、反省とか後悔をするためにあるんじゃなくて、楽しかったと思うためにあるんだよ」
この言葉をかけてもらった時、
「そうなれたら幸せですね」と他人事のように思っていた。
あれから数年。
ここで文章化するくらいには、過去を思い出として扱える大人になった。
「大人になれば、どんな過去も思い出になるのよ」
とは、母親の言だ。
どうやら私も、そういう大人の仲間入りを果たしたらしい。
ここで文章化したものは、ささやかな事ばかりだが、言葉を紡ぎながら満ちていく不思議な感覚を味わっていた。
過去の自分と今の自分が混じり合って、爪の先まで余すことなく自分なのだと再認識するような──自分を取り戻すと言うと少々陳腐だが、本来の姿を素直に受け入れるとはこういう感覚なのかもしれない。
明日、もし晴れたら──
青空を見る度に疼くエスケープの亡霊にこう言ってやろう。
「過去を思い出にできる力を、私は持っているぞ」
エスケープの亡霊も思い出の名の下に、その姿を変えるかもしれない。
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先日書いた文章にて麦畑と書いていましたが、正しくは稲でございました。大変失礼いたしました。
勘違いに至った経緯も思い出しましたので、笑い話に一つ。
家に帰って、黄金の絶景を見たことを興奮気味に母親に語る中学生の私。
「なんかツンツンして見えたけど、アレは何だろう。稲だったのかな?」
母親「この時期だったら、稲はもう収穫されて無いわよ。黄金色でツンツンして見えたのなら麦じゃない?」
私「そうなんだ!あれは麦畑だったんだね!」
その後正しい知識を入れるもスッカリと忘れ、当初覚えてしまった麦の言葉が呼び出されてしまったらしい。
なぜこの間違いに気づいたかというと、昨日の文章を読みながら過去の景色を反芻している時に違和感があった為、間違いの発見に至った。
ちょっと折角なので、その時の脳内の言葉もどうぞ。
「黄金の波がこう、ザザーンと綺麗だったんだよなぁ…。でも、記憶の精度をあげると…なんか麦と違うような。でも、音声の記憶はハッキリと麦と言っているんだよなあ。ちょっと麦の収穫期調べよう」
ここでハッと気がつく
「待ってこれ、昔もやったじゃん!調べてああっ!ってなったやつじゃん!」
一番初めにインプットしたものが間違えていると起こる恥ずかしい弊害。
…麦も稲も美しいから良いか←
お粗末様。
8/1/2024, 2:26:21 PM