ガルシア

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 今でも覚えている、初めて出会った日のこと。
 石畳を踏む革靴の音に高揚した口笛。近づいてくるそれが細い路地から出てきた瞬間に対面した私は、ぶつかりそうになった長身の男を見上げてピタリと固まってしまった。帽子の下から覗く白い頬が、血に塗れている。今思えば、黒いジャケットには目立たなかっただけで、真っ先に目に入った彼の胸元や腹にも紅は染み込んでいたのだろう。
 ふと頭をよぎる正体不明の連続殺人鬼のニュースに背筋が震えたが、どこかで赤が似合う男だと思ったのも覚えている。全く動いてくれない足で後ずさりかけた瞬間、彼は恍惚とした笑みを浮かべた。
 今夜は良い夜ですね、お嬢さん。
 低く艶やかに響くやけに魅力的な声でそう言うと、私の横をすり抜けて霧の中に消えていった。すれ違い際に香った血の匂いと甘い香水のような匂いが記憶に強く焼きついた。
 そのときからずっと、彼を想うたびに胸が高鳴るようになってしまった。あの記憶を反芻し、あの目が、あの声が、あの匂いが体の隅々まで痺れさせる。
 それは確かに恋だった。
 

『恋物語』

5/18/2023, 4:11:06 PM