槙島驟

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半袖だった。
真っ黒の無地の半袖。さりげないシルバーアクセサリーが左腕に嵌っていて、健康的な肌色と骨張った腕がペンを持っている。

風はなくて、君の奥二重は伏せられたまま静かに紙に向かってペンを走らせていた。

覚えているのはそれくらいで、名前も、何にも知らなかったけれど、少し肌寒い日に半袖だった君のことはよく覚えていた。

湿った空を君越しに見上げては、視線を戻す時には君の見かけによらず数のあいたピアスを盗み見るのだ。

君の声はどんな声をしているのかな。
どんな風に笑うのかな。
どんな音楽が好きなのかな。
どんな風に好きな人を呼ぶのかな。

「なに?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「大丈夫? ここ、わからない?」

君がそう言って指を指したのは、問6の問題で。すでに解き終わった君は首を傾げて私をのぞいていた。
君は空いたルーズリーフを取り出してペンを走らせた。

『ここに、xを代入。その式とこの公式をBで合わせる。そうしたらこの図のここが出るから。そうしたらあとは、この定理を使ったら解ける』

すっと紙を差し出してきた君の半袖からのぞいた肌が少し鳥肌が立っていた。

「寒いの?」

君は奥二重の目を見開いた後、顔を背けてしまった。数学の解説を無碍にしてしまったからだろうか。君の肩を叩いて振り返った君に「どうしたの?」と聞く。

「寒いの? って手話が……かわいくて」

恥ずかしそうに君は顔を赤らめて、曖昧な手話で返してきた。きっと声で話していたら、消え入りそうな声ってやつなんだろうな。

一気に暑くなったのか、顔を手でぱたぱたと仰ぐ君にほんの少しの風が吹いた。

5/29/2023, 8:43:38 AM