「お母さんね、貴方の事も大事だけれど本が次に大事なものなの」
そう言いながら僕らの頭を撫でる手は冷たかった。
「お父さん、さっきお母さんが」
僕が言うとお父さんは顔をしかめる。
「良いんだ、よしてくれよ。つまらない冗談はもういいから」
「冗談じゃないよ、だって…」
そこまで言いかけて今度は弟が口を開いた。
「でも、本当なんだよ。お母さんは生きてるんだ。お父さんも見れば分か」
「…っやめてくれよ!…ごめんな、だけど、辛いかもしれないけど、お母さんはもういないんだよ」
「お父さん…」
途端に弟が泣き出した。
「ごめん、大きい声だして。…もうやめてくれ、お父さんはこれからやる事があるんだ」
「分かった、おいで」
弟は泣きながら僕の後をついてきた。
弟の手をとりながら僕は考えた。
お父さんにはお母さんが見えないのだろうか。
何で見えないんだろう。
大人だから?
そもそも、何でお母さんはいるのだろうか。
本当に死んだなら僕達が見ているのはなんだ?
幻覚?
だとしたら、お母さんは何故僕達に触れられる?
実態はあるんだ。
僕だって触れられるし、温度もある。
匂いだってする。
だからといって、幽霊としてしまうのは…。
ここまで考えて、僕は諦めた。
考えたところで意味がないからだ。
お父さんは聞いてくれないだろうし、だいいち正体が分かったからと言って何ができる。
僕は無力なんだ。
子供ができる事なんて大してないんだし。
と、いきなり手を引かれた。
「お兄ちゃん」
「何?」
「お母さんの所に行こうよ」
「今?何で」
「不安だから、お父さん。お母さんが見えてなくて本を捨てちゃうかも」
「…分かった。行ってみよっか」
そして見事に弟の予想は的中していた。
「お父さん…」
「お父さん!何やってるの?!」
弟が詰め寄ると、お父さんは手を止めて言った。
「…あぁ、なんだ。どうせ誰も読まないんだから。それとも、お前はまだお母さんがいるとでも言うつもりか」
「そうだよ、ねぇ?お兄ちゃん、お兄ちゃん?」
「…違うよ、そうじゃないんだ。ごめん。お母さんはもう、いないんだ」
「お兄ちゃん?どう、したの?」
「弟なんて、最初から生まれてなかった」
「お兄」
「弟?何の話をして…お前、誰かから聞いたのか」
「違うよ。僕の中だけのお母さんが教えてくれたんだ」
「は?お母さんって…」
「弟はいたんだ。ただ、生まれてないんだ」
「……」
「お父さん、本、捨てないでよ」
「…あったって邪魔なだけ」
「違うよ、僕が読む。だから、それは捨てないで…」
「分かったよ、ちゃんと読むんだぞ」
「うん」
本は思った以上に面白かった。
そんな僕を見てお父さんは笑う。
嬉しそうに。
そして言う。
「お母さんにそっくりだ」
それが嬉しい。
ーいつまでも捨てられないものー
8/17/2024, 12:45:02 PM