【胸の鼓動】
ついに感染してしまった。
新型コロナウイルス。
――と、言いつつ、掛かったのはもう一月半も前のこと。
症状も軽症で、療養期間が明けるなりすぐに職場に復帰した。
ただ、今も残る気掛かりが一点……
(あ、また、ドクンってきた……)
あれ以来、動悸がする。
思わずハッとして静止してしまうくらい、唐突にドクンと大きく胸が鳴るのだ。
それまで動悸なんて経験なかった。
コロナになって初めて体験した。
で、あれからずっと……今に至るまで続いている。
(しつこいなぁ、後遺症……)
息苦しさはあまりない。
痛みは全然ない。
でも、急にドクンとくるとやはり怖くて……
自分の体がどうにかなってしまいそうで……
妙に不安になってしまうのだ。
(治ってからもう結構経つのになぁ……)
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい」
潤也――夫が帰宅した。
私はキッチンに移動して、さっき作っておいたシチューを温めはじめる。
「今日は大変だったよ。いつもの外注先がさ、コロナが出たとかいって現場を臨時休業にしてきてさぁ」
「……ふうん」
「まったく、大袈裟だっつうの。コロナなんてただの風邪なのに」
これが、潤也のいつもの主張。
PCR検査で陽性が出て、感染確定した私が高熱に苦しんでいた時も同じことを言っていた。
「……ただの風邪ってことはないと思うけどね。治って一ヶ月半経つのに、未だに動悸がするなんてやっぱり変だよ」
「いや、真希はいつもそう言うけどさ、それ多分コロナ関係ないから」
「病院の循環器内科で診てもらった結果、コロナの後遺症だろうって言われたんだけど」
「それ誤診なんじゃないの? どっちかと言えば、真希が行くべきなのは心療内科だと思うけどね」
「なにそれ? どういう意味?」
「だから、心因性の症状じゃないかってこと。メンタルが弱ってるから動悸が起きる、みたいな?」
「…………」
「なんて言うか、真希はさ、コロナを恐れすぎなんだよ。その恐怖が動悸を引き起こしているのかもよ?」
「…………」
「そんな怖がる必要ないでしょ。コロナなんかただの風邪なんだしさ」
「…………」
まぁ、私のメンタルが弱っているのは間違いない。
この一月半、私と潤也はこんな応酬を何度も何度も繰り返してきた。
その度に、私は何とも言えない徒労感に苛まれてきた。
心がすり減っていることには自覚がある。
「それよか、おなか空いたよ。今夜はシチュー?」
「……うん、シチュー」
シチューはいい感じに温まった。
火を止めて、皿に盛り付ける最中、
「……あっ」
また、胸の鼓動が大きく響いた。
思わず手が止まってしまう。
「なに? また動悸?」
「……うん」
「やっぱさ、行った方がいいよ。心療内科」
「…………」
結局のところ……
潤也にとっては、私の不調より「コロナは風邪」という自分の主張の正当性の方が大事なのだろう。
私の動悸がコロナ由来だと認めると都合が悪い。
だから、やたらと心因性の動悸だということにしたがる。
(そんな不自然な目の逸らし方さぁ……)
(とてもじゃないけど、私のことを本気で心配してくれてるように見えないよ……)
うるさく高鳴るくせに……
私の心臓は冷えていく一方だ。
(昔はこんな奴にドキドキしたこともあった……)
(すごく好きで、一緒にいると幸せで……)
(それで、ついには結婚までしちゃって、さぁ……)
(…………)
(ははっ、今になって思えばバカみたいだわ……)
―END―
9/8/2022, 4:10:41 PM