俺はプロミュージシャンを目指している。今日も路上ライブをした。以前よりも立ち止まって聴いてくれる人がかなり増えていて、手応えを感じている。
機材を片付けていると、ひらりと1枚、桜の花びらが舞い落ちてきた。近くに古い桜の木があるから、そこから舞い落ちてきたんだろう。その桜はもう満開の時期は過ぎて、葉桜になってきていた。
舞い散る花びらを見ていると、思い出す人がいる。第一印象は、花びらを散らす桜のように儚げな女性。でも、本当のところは、芽吹く新芽のように瑞々しく、芯の強い女性だった。
彼女は学生時代俺がバイトしてたカフェのお客さまで、音楽の趣味が合ったことから仲良くなり、やがて付き合うようになった。夢を追う俺を、彼女は応援してくれてた。俺が大学を卒業する頃に同棲するようになってもそれは変わらず。俺は彼女に支えてもらいながら、夢を追い続けてた。
だけど、大学を卒業して1年経った頃、オーディションに落ち続けていた俺は、評価されない自分に苛立って、彼女に当たってしまったことがあった。荒んで酒を飲んでばかりだった。
「俺には最初から才能なんてなかったのかな……。だから誰にも見向きもされねえのかな」
そうこぼしながら俺が情けなくも泣いていると、彼女は言った。
「そんなにつらいなら、もうやめたっていいんだよ」
俺は、その言葉が許せなくて、暴れて、彼女にも怪我させて、家を飛び出し、その夜は家に帰らなかった。その後家に帰っても、彼女と俺の間に会話はなく。数日後、彼女から、「もう一緒にいることはできない」と別れを告げられた。
別れの日、最後に彼女は言った。
「やめていいって言ったけど、ほんとはやめてほしくないよ。私、あなたの歌が好きだから。もし、あなた自身がまだ自分の歌を好きでいられてるなら、どうかやめないで。応援してるから」
俺はガツンと殴られたみたいに衝撃を受けた。誰にも見向きもされないなんてとんだ勘違いだった。こんなに近くに俺の歌を好きでいてくれる人がいたのに、俺はそれが見えなくなってた。あの日、俺の歌を好きだと言う彼女に、歌をやめていいと、俺が言わせてしまったのだ。
その別れ以来、俺は一層がむしゃらに、音楽に打ち込んだ。もっと上手くなって、もっとたくさんの人に聴いてもらうために、できる努力は何でもした。
その甲斐あって、俺の歌は少しずつ認知され始めて、好きだと言ってくれる人も増えてきた。
古い桜を眺めながら、舞い落ちてくる花びらの下にすっと手のひらを出すと、花びらが一片、手のひらの上に乗った。
俺の手のひらは、まだ夢を掴めてない。掴めているとすれば、せいぜいこの花びら程度の小さな一欠片。でも、今はそれでいい。俺はまだ俺の歌が好きで、いくらでも頑張れるから。
「応援してるから」と言ってくれた彼女の顔を思い出す。
舞い散る桜のように儚い笑顔だった。でも、その目には、俺の背中をそっと押すような、優しい力強さがあった。
4/5/2025, 8:36:23 AM