ある日起きたら、自分の背に翼が生えていた。
正気を疑う内容。けれど、それは確かな事実だった。
天使のような、大きく生える純白の翼。
揺らすように、動かそうとしてみると、肩甲骨が軋んだ。
少しの違和感の先、ばさりと風が起きて、
はらり、羽根が舞い落ちた。
落ちた羽根は、すうっと透明に透けていく。
消える前に拾い上げると、透明なままに形を保っていた。
光に翳すとその輪郭がほのかに色づいて、きらきらと眩く反射する。硝子細工のような羽根。
触ると少し冷たくて、それでもやわらかかった。
まるで信じられない光景に驚きながらも、
頭はどこかひんやり冴えていて、
不思議な高揚感に包まれていた。
そして、ひとつ過ぎった想い。
──いまなら、飛べる!
思い立った瞬間、窓を開けて、飛び出した。
飛び方なんて知らないのに、衝動のまま動かす。
神経を繋げるように、小さな羽ばたきを繰り返す。
感覚が肩甲骨を伝って、大きな翼を広げた。
翼が風を切って空を翔ける。
遮蔽物のない自由な空を思うままに飛び回った。
早朝の空は淡い色で、冷たい風が肌を撫でる。
雲が光を受けて輝く、澄んだ空気が美味しい。
冷たいはずなのに、興奮した体は熱くって、
勢いのまま、また強く翼を羽ばたかせた。
楽しくて、楽しくて、全てを振り払うように飛び続ける。
鳥になったよう、風になったよう!
空を踊り舞うように、繊細な羽根の動きを制御する。
もう身体の一部のように馴染んだ翼。
最初からそうだったようにも感じる。
ああ、楽しい。
そう思っていられたのは、
次に高く飛ぼうとした時までだった。
あれ、あれ、おかしい。
動かせていたはずの翼が、動かない。
必死に力を込めても、少しだって動かない。
翼は重くなる一方だった。
どうして、なんで、気が焦る、血の気が引いていく。
抵抗のなせない身体は、そのまま空中から地へ、
重力に従って、真っ逆さまに墜ちていく。
風に切られて羽根が剥がれた。
光に反射して綺麗に、残酷に散る羽根を眺めて、
身体は勢いよく、地に叩き付けられた。
……はずだった。
衝撃に体が起き上がる。
目を何度も瞬かせると、違和感に気付く。
ここは、布団の上?
あまりに非現実的で、けれど現実的だった。
翼は繋がっていた、空を翔けていた。
背に残る感覚に縋るように、自分を柔く抱いた。
肩甲骨にはなにもない。翼は、なかった。
震える吐息。つめたい汗が頬を伝う。
大きく脈打つ鼓動が耳に残って離れない。
騒ぐ心臓に、喉を締め付けられて、くるしい。
鼓動を落ち着かせようと、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
とくとく、ようやく落ち着いた鼓動を聴きながら、夢の内容を思い出す。
綺麗な景色。広い空。
流れる風。大きな翼。
本当に夢だったのか、今でも疑ってしまう。
窓から差し込む光が部屋を照らす。
眩しくて咄嗟に目を瞑ると、一瞬、何かが光った。
そんな気がした。
ふわり、手に何かが触れた。
見えないけれど、何かが、ある?
覚えのある肌触りに、必死に記憶を手繰り寄せる。
そう、そうだ、思い出した、これは……!
──あの夢はきっと、嘘ではなかった。
触れたものを拾い上げる。
透明な想いを、指先にのせて、
見えない羽根を、光に翳した。
11/9/2025, 7:28:21 AM