アシロ

Open App

 大学四年の春休み。無事に大学を卒業し、これまた無事に就職先も決まっている俺にとっては、人生で最後の春休みになるのだろうなぁ······なんて少しの感慨に耽りながら、あとちょっとしたら慌ただしくなるのであろう未来を想起しつつ、一日一日を噛み締めるように過ごしていた。そんな、ある一日の出来事。
 俺は幾つかの県を跨ぎ、生まれ故郷である町へと出向いていた。小学校を卒業し、中学入学のタイミングで現在住んでいる県へと家族共々引っ越しをしたため、故郷に戻ってくるのは実に十年ぶりのことだ。変わらない街並み。変わってしまった住民の空気感。懐かしさを覚えつつも、何となく知らない土地に来てしまったかのように感じる不思議な感覚。離れて十年も経てば、町にとって俺は「住民」ではなく「余所者」と化してしまうのは仕方のないことだろう。それに俺は、ただ懐かしむためにこの町に帰ってきたわけではない。くだらなくも大切な、ある約束。それを果たすために、俺はわざわざ、今日という日を選んでこの町に足を運んだんだ。
 記憶を辿って目的地に到着した俺は「あー······」と、落胆とも納得とも取れるような曖昧な声を零した。目前には、整備され真っさらな空き地となった何も無い空間が広がっていた。十年という月日の重みが今更染みて、何となくセンチメンタルな気持ちになる。
 ここはかつて、俺が住んでいた頃には公園として子供たちから愛されていた場所だった。それが今では遊具は全て撤去され、植えられていた木や花々なんかすらも何一つ残らず、まるで最初からそんなものなかったかのような顔をして平然と俺の目の前に存在している。あの頃の思い出が全て消えてなくなってしまったかのように思えて、ほんの少し胸中に寂しさが湧いた。それでも俺は、ここに来なければならなかった。今日という日に、絶対に来なければならなかったのだ。
 小学校を卒業した後の春休み。十年前の今日。俺は友人と二人でここにあった公園で遊んでいた。その時に俺たちは、公園の敷地内にタイムカプセルを埋めたのだ。学校の方でも別の場所でタイムカプセルを埋めるイベントはあったのだが、二人だけのタイムカプセルも作ろうという話になり、それを決行したのが十年前の今日だった。その時、友人と約束をしたのだ。「十年後の今日、またここに集合な!」と。
 ······俺は、自分がこのすぐ後に引っ越しをすること、中学からは別の学校になりもう会えないかもしれないことを、その友人に話すことがどうしても出来なかった。この町を離れなければならないことを自分でも受け入れられていなかったし、嫌だとも感じていたし、そして何より、友人を悲しませたくなかったのだ。お別れの言葉なんて言いたくなかったし、言われたくなかった。でも、こうして成人もして社会人を目前とした今なら、自分が如何に身勝手なことをしたか、その事実の罪深さをひしひしと痛感する。突然俺が居なくなり、友人はさぞ驚いたことだろう。何故言ってくれなかったのか、自分達は友達じゃなかったのか、と俺を恨んですらいたかもしれない。何の挨拶も出来ないまま、何も伝えられないまま、逃げるように姿を消した俺に、愛想を尽かした可能性だってある。それほど、過去の俺はアイツに酷いことをした。
 だから本当は、今日ここに来ることも直前まで悩んでいた。アイツが絶対に来てくれる保証なんてないと思ったからだ。アイツにとって俺という存在が価値のないものへと成り下がっていたとしたら、必然的に約束のことだって忘れてしまっているかもしれない。覚えていたところで、俺同様、俺が来る確信なんて持てずにいて、約束を反故にすることだって考えられる。しかし、仮にアイツがその選択をしたとしても、俺にアイツを責める筋合いなどないし、甘んじて受け入れようと思ってはいる。だって、先に裏切るようなことをしたのは俺なんだから。その報いはきちんと受けるべきだ。
 そんなことをぐるぐると考えながら、俺は近くのブロック塀へと背中を預け煙草を燻らせていた。もやもやとした胸の内を煙と共に吐き出すこと、一体何十回ほどのことだっただろう。
「······亮(りょう)?」
 名を、呼ばれた。男の声だ。俺は瞬時に、声がした方向へと視線を向けた。随分と身長が伸び、髪型も髪の色も変わったが、色白い肌と、穏やかそうな目元には見覚えがあって。ああ、コイツは間違いなく······。
「慧(けい)······」
 その名前を口にしただけで、ぶわりと溢れ出す懐かしさと、約束を覚えててくれたこと、そしてここに来てくれたことに対する喜びに塗れて窒息しそうになる。
 慧は応えるように片手を上げ、少しだけ照れ臭そうに眉を下げ、笑った。
「······来て、くれたんだ。亮」
「それはこっちのセリフだ、ばーか」
「何でだよ」
「······もう、忘れられてるかなって」
「んなわけねぇじゃん、ばーか」
「だってわかんねぇじゃん、んなこと」
「そーーれは、そう。······あー、亮? その······久しぶり。あと······おかえり」
 慧が、笑いながらも泣きそうな顔でそんなこと言ってくるもんだから。何か、俺まで泣きそうになってくる。
「······うん、久しぶり。それと······ただいま」
 一瞬お互いに黙りこくって······そして、二人同時に笑い出す。多分慧も俺と同じで、真面目な空気と、妙な照れ臭さに耐え切れなかったんだと思う。
「あー······それにしてもさ」
 俺は煙草と携帯灰皿をポケットに突っ込み、すっかり空き地と化した思い出の公園、その跡地へと体ごと向き直る。
「タイムカプセルどころか、何もかもなくなっちまったな、ここ。まぁしょうがないんだろうけどさ······思い出丸ごと奪われた気分」
 呆れたように肩を竦めてみせれば、慧は俺の隣へと並び、何でもないことのように言う。
「なくなってなんてないよ」
「え?」
「確かにここはもう公園じゃないし、俺らが埋めたタイムカプセルも何処行ったかわかんないし? でも、思い出までなくなったとかさ、んなこたぁないよ」
「······そうなんかなぁ」
「いや、そうだろ。じゃあ聞くけどさ、お前、何で今日ここ来たん?」
「ハ? そりゃ、約束したから······」
 俺が少し戸惑いつつも答えると、慧は満足そうに笑う。
「ん、俺もそう。俺達、ずっと離れて暮らしてたけどさ、ここの思い出とあの約束があったから、またここで会えたわけじゃん? ここに来るまで確かにあった思い出がさ、この光景見ただけですぐなくなるとか、んなわけないじゃん」
「たし、かに······?」
「“なくなった”と思うから“なくなる”んだよ。“ずっとここにある”って思ってれば“ある”んだ。俺にはまだ見えるよ? ここにあった公園も、そこで遊んでる昔の俺達も、タイムカプセルの中に埋めた中身も」
 慧は懐かしむように、少しの間、両目を閉じた。そうして再び瞼を持ち上げた時、その眼は俺を写し、微笑と共に首を傾げ、俺に向け問い掛ける。
「お前は? お前にもまだ、見える?」
 俺は改めて、更地となった元公園を見遣る。あの頃の様々な思い出が、次々にフラッシュバックする。ただの更地に、見知った公園の姿が重なっていく。
「······ああ、見える。見えるし、ちゃんと覚えてる」
 慧は俺の答えに、満更でもなさそうな顔をする。
「だったら、ここは俺達二人の公園だよ。他の奴らは知らない、俺達しか知らない、俺達だけの秘密の公園」
「ハッ。この歳になって秘密基地ってか? しかも頭の中だけの秘密基地とか······イカレてんな」
「イカレてんねぇ。でも、バカおもろいじゃん」
 悪戯好きなクソガキみたいににんまりと笑う慧。釣られたように、俺も口端を吊り上げ笑う。
「うん。バカおもろい」
 十年前の俺達へ。十年前、二人だけで交わした約束のその果て。俺達は十年後、二人だけの秘密を手に入れた。

3/9/2025, 9:59:28 AM