『cute!』
可愛いと云われることには慣れている犬だった。
犬嫌いのひとでなければ、だいたい「あらかわいい!」と誉めてくる。家族からも(躾はなされていたが)誉めそやされる犬。
まさに、犬なのに猫可愛がり、だ。
日本語をすべて理解はしていなくても「可愛い!」だけは理解していただろう。誉められるときのこの犬の表情は「苦しゅうない」だったし態度は「誉めることを許す」だった。
我が家に留学生が来た。
私の妹が英国にホームステイした、その交換留学生だった。英国人だから英語が母国語、日本語は勉強中でまだ片言だ。
彼女は朗らかで犬好きだった。そして、そうでありながら日本犬は見たことがなかった。
「Wao!」
留学生はわが家の犬を眼にして大きく叫んだ。
犬は、初めて聞く外国の言葉に身構える。誉めちぎられながら育ったおかげで、この犬種にしては警戒心をどこかに忘れてきた犬の、珍しい反応だ。
「Cute!」
考えてみたらCuteの発音は感覚的に少しばかり鋭い。犬は身構えながら尾を下げる。後ろ脚に挟まんばかりに下げてじりじりと後退る。
留学生の少女は物怖じしなかった。
犬が退けばその分間を詰める。攻防(にすらなっていないが)は数回くりかえされ、業を煮やしたのは少女のほうだった。
何やら私には理解しきれぬ英語を畳みかけながら犬に跳びかかる。犬は避けることもできぬままにねじ伏せられた――もとい、抱きしめられた。
熱心に囁かれる異国の言葉。
撫で回す手。
硬直して戸惑う犬だったが、そこは誉め言葉を浴びて育った子のことだ――、知らぬ言葉でも含む感情は知っている、知り尽くしている。
つまるところ、犬が「可愛い」の同義語をひとつ学び、異国語での愛の表現に怯まなくなった、それだけのことだった。
2/27/2025, 11:04:20 AM