sairo

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「ほどきましょうか」

聞こえた声に、反射的に距離を取る。
視線を向ければ、同じ顔をした童女が二人。朱殷《しゅあん》色した紐であやとりをしていた。

「その苦しみをほどきましょうか」
「その痛みをほどきましょうか」

唄うような声音。幼い指が紐を手繰り、引き抜く。
ただの紐が形を様々に変え繰り返されていく度に、紐に赤が塗り重ねられていく。
それに呼応して、空気が蠢いた。

「永遠に続く、その呪いをほどきましょうか」
「姉ちゃんっ!」

姉の背後。形を持った暗闇が、彼女を呑み込もうと牙をむく。
姉の手を引き抱き上げる。一瞬遅れて、どぷり、と重たい泥に似た黒が彼女がいた場所を覆い尽くした。

「離れるなよ、姉ちゃん」
「分かっている」

周囲の蠢く闇を警戒しながらも、視線は童女らから逸らす事なく。
赤が重なり、最早黒に近い色に変わったあやとり紐に向け符を放つが、すべて闇に呑まれ、あるいは不可視の壁に阻まれ届かない。

「その永遠は苦しいのでしょう」
「その呪いは痛むのでしょう」
「終がほしいのでしょう」

童女が唄う。あやとりが繰り返される。
襲いかかる闇を避けながら、唄うその言葉に呑まれぬように声を張り上げた。

「必要ねぇよ!もう必要ねぇ。兄姉がいる。約束がある。やるべき事を成さずに終わるわけにはいかねぇんだよ!」

離してしまわぬよう姉を抱く腕に力を込め、符を放つ。

「俺たちの邪魔すんなっ!さっさと消えろ」
「落ち着け、寒緋《かんひ》。後ろだ」
「っ!悪ぃ、助かった」

姉の言葉に反射的に身を逸らす。掠める闇に舌打ちして、童女らを睨み付けた。
術師であろう童女らに符は届かない。姉を抱いている今、下手に近づくのは危険だ。
追い詰められる焦燥に、ぎり、と歯を食いしばる。このままでは消耗していくばかりだ。急く意識に集中が途切れ、最早姉の指示なしでは闇を躱す事すら出来ない。

「ほどきましょう」
「煩い!やめろっ!」
「寒緋!」

姉の声すら遠くなる。呑み込まれてしまう。
受け入れてしまう。

――終を。



「弟が嫌がってんだ。やめてくれ」

静かな、それていて強い響きを持つ声。
煌めく、白銀の一筋。遅れて響く、甲高い悲鳴。

「悪ぃな、遅れた。大丈夫か?」
「兄、ちゃん」

抜き身の刀が携えた兄が、童女らがいた場所に佇んでいた。
その足下には切れたあやとり紐。童女らの姿は何処にも見えない。
紐が切れた事で蠢く闇も形を無くし、静寂が訪れる。

「ごめん、助かった。兄ちゃん。姉ちゃんも」

安堵に気が緩み、膝をつく。
深く呼吸をすれば、冷えた空気が肺から全身に回り、冷静さを取り戻していく気がした。

「いい加減に離せ。さすがに痛い」
「あ、わりっ」

慌てて緩めた腕から抜け出した姉が、兄の元へと歩き出す。
ついて行こうにも体は言う事を聞かず。心細さに手が伸びる。

「姉ちゃん」

伸びた手を姉はするりと躱し、振り返り呆れを乗せた表情で溜息を吐く。

「まったく。しっかりしないか。男だろうに」
「明月《めいげつ》。それくらいにしてあげてくれ。きっと怖かったんだ」

歩み寄ってきた兄が宥めるように姉を撫でる。そのまま近づいて姉と同じように頭を撫でられた。

「兄ちゃん」
「怖かったな。もう大丈夫だ」

大丈夫だ、と繰り返す兄に手を伸ばし、縋る。震える己の手が視界に入り、兄の言うとおり怖かったのだと他人事のように思った。

「ごめんな、紐しか切れなかった。追っても良かったが、寒緋が心配だったんだ」
「ん。来てくれただけで十分だ。ありがとな、兄ちゃん」
「兄さんは寒緋に甘すぎる」

そう言いながらも側に来た姉が背を撫でる。二人の優しさに、ともすれば泣いてしまいそうだ。

「寒緋」

姉が呼ぶ。

「私の言葉がお前を縛り付けてはいないだろうか」

静かな声に、顔を上げる。
姉を見れば淡く微笑みながらも、後悔の滲んだ目と視線が交わった。

「少し考えていた。あれらが本当にお前を人として終わらせる事が出来るのなら、その方が幸せではないかと。人の身で永遠に近い時を生きるのはさぞ苦しいだろう」

優しい手つきで頬を撫で、目尻に浮かんだ涙を拭われる。
兄は何も言わない。ただ優しく頭を撫でている。
どうして、と純粋に思った。
どうしてそんな残酷な事を言うのだろうかと。
己が他の兄姉と異なり、人の血が濃いからだろうか。
一人彷徨っていた昔の事を気にしているのか。人のように脆弱な精神しか持ち合わせていないからか。
或いは、ただ人である己が煩わしくなってしまったのか。

「寒緋」

今度は兄に名を呼ばれた。
静かで優しい響きのそれに、目を閉じる。
必要とされないのであれば、せめて兄姉達の手で終わらせてほしい。知らないナニかの手ではなく、愛しい兄姉の手で。

「いらないなら、そう言ってほしい」
「いらないなんて、誰も思ってないよ。寒緋は大事な大切な俺達の弟なんだから。明月もそんな事を思って言った訳じゃない。ただ寒緋が大好きだから、苦しんでほしくないんだ」
「俺、まだ兄ちゃん達に必要とされてるのか」

呟けば、答えの代わりに頭を撫でる手が少しだけ強くなる。目を開けて兄を見上げ、そして姉を見る。
珍しく泣きそうな顔をした姉に片手を伸ばせば、擦り寄られ。そのまま引き寄せれば、嫌がられる事もなく腕の中にその小さな体が収まった。

「寒緋は何を望む?」

兄の言葉に、腕の中の温もりを抱きしめて笑う。
望むのは、一つだけだ。

「兄ちゃんや姉ちゃん達と一緒にいたい。一緒にいられるなら、それが永遠でも俺は幸せだ」

永遠が苦しいのは、一人残されるからだ。
愛する者は皆、己をおいて逝ってしまう。変わらぬ己を怖れ近づく者はなく、孤独を強制される。
いつだって失う事は、怖いものだ。

「そうか。それなら、ずっと一緒にいようなぁ」

兄が笑う。
頭を撫でる手を止め、一歩だけ離れて小指を差し出す。
その指に、縋り付いていた手を離し、小指を絡めた。

「約束だ。寒緋と一緒にいる。離れてても寒緋が呼ぶなら、こうやってすぐに来ると約束するよ」
「ん。約束」
「本当に兄さんは寒緋に甘いのだから」

腕の中で身じろぐ姉が、呆れたように呟く。だがくるりと向きを変えた姉は、腕の中から抜け出す事なく腕だけを伸ばし、兄と絡めた小指をその小さな手で包み込んだ。

「だがまあ、酷い事を言ったのは悪かったと思っているからな。私も約束しようか」

どこまでも素直でない姉に、思わず笑う。
包む手に僅かに力が加わるが、痛いほどではない。

約束し、手を離す。
もう大丈夫だと頷けば、兄はもう一度頭を一撫でし、離れていく。
それを見送って、立ち上がる。強く地を踏み締める。

「そろそろ行こうか、姉ちゃん」
「そうだな。さて、次はどこへ行くか」
「嬢ちゃんの方も探さないとな」
「探しものばかりだな。黄《こう》の眼も頼りにならんから、骨が折れる」

疲れたように姉が息を吐く。
取りあえず、と姉が指さす方に向かい歩き出す。
腕に抱いた姉を離さぬように、少しだけ抱く腕に力を込めた。



20241102 『永遠に』

11/3/2024, 2:40:39 AM